きのうは午後から二つの公演に出かけた。
二時から半蔵門国立劇場で文楽。
「鎌倉三代記」十段のうち七段目にあたる、絹川村の場面、四段を休憩なしで上演、二時間十分、ちょっと疲れた。
役名は頼朝三代記によっているけど、内容は大坂夏の陣。
時政(家康)の娘時姫(千姫)が京方(大坂方)の三浦之助(木村重成)に恋をして三浦之助の母の住む絹川村で明日をも知らぬ母を世話する、姫御前のあられもないおしかけ女房、飯の炊き方も知らず、村の酒呑み婆さんが見かねて、ワッシッシーと教えてやるのが滑稽だ。
(夕方の上野公園)
重篤な母に会いたくて(最後の別れを告げに)満身創痍の三浦之助が戦場からやってくるが、母は主に仕えるのが仕事、母に引かれて見苦しいことをするなと会おうとしない。
僕も母や妻のことをないがしろにして意気がっていたときがある。
あれは、どういう刷り込みだったのだろう。
戦後の民主主義個人主義教育とは別に日本社会の底にある、ある種の「戦争文化」なのだろうか。
(上野公園)
恩と恋の狭間で恋をとり、父を殺すという時姫。
友の三浦之助の首を持って時政を油断させて殺すという佐々木高綱(真田幸村)、自ら槍を腹に突き立てる老母、絶叫し啜り泣く義太夫。
おどろおどろしいのが見所勘所かな。
もう一曲、八百屋お七があったけど、お腹いっぱい、次の会場上野文化会館に向かう。
たっぷり時間があるので黄昏の公園を歩きスタバでクラブハウスサンドイッチを食う。
どこに行っても聞こえるクリスマスソング、歌手たちはそれぞれに工夫を凝らしてアヤをつけて歌っているけれど、どれも同じく甘ったるくて居心地が悪い、讃美歌がいいのに。
ぶったまげた!これぞまことの「音を楽しむ音楽」、メンバーのそれぞれがソリストのように首をふり身体を揺らし、笑って演奏する。
消え入るかと思うほどに囁くかと思うと、雷鳴のように悪魔の哄笑のような爆発。
何故か、シューベルトがこのシンフォニーを書き付けているイメージが浮かんで涙ぐましくなった。
とくにモーツァルトの「トルコ風」のソロは素晴らしかつた。
耳に馴れた旋律のそれぞれがこんなにも多彩な表情に富んでいたとは!
17歳だったか、モーツァルトがこの曲を僕たちに遺してくれたのは。
神の子!
鳴りやまぬ拍手に答えてバッハを二曲。
アンダンテの深み、僕にも分かる深み!
休憩後のハイドンもよかったけれど、僕は既に飽和状態、むしろアンコールのシューベルトのユーモアが楽しかった。
東奔西走、文を楽しみ音を楽しみ、余は満足なりき。