彼らは沖縄を処分して構わない異民族としか見ていない 大城立裕「辺野古遠望」
2018年 12月 05日
写真↓は昨日。
ふたたび歩いて近所で散髪、14000歩とよく歩いた一日だった。
辺野古という地名も知らなかった若い頃に兄と「東海岸」へドライブして辺野古に迷い込んだ思い出から始まって、建設業を起こした兄とその息子が辺野古の基地関係の工事へのかかわり方などを描きながら、作者の沖縄と本土の関係についての思いが、怒りが、絶望が、伝わってくる。
普天間から辺野古、「ヰヌムン トォ ヰヌムン」(ンは小文字)、同じものは同じもの=「朝三暮四」、普天間を閉じるといっても、辺野古を造るなら同じ、代わりだといっても出来てしまえば普天間を本当に閉鎖してくれるかどうか分かるものか。
沖縄の人たちの怒りと不信は根深い。
琉球処分・廃藩置県後の明治政府は沖縄語を使わせなかった、ウチナーグチ(沖縄語)は差別の材料になり日常的な劣等感を育てられてきた歴史に対して、ウチナーグチを誇りある文化として積極的に復興させようという翁長は、那覇市長のときに窓口の挨拶を「ハイサイ・ハイタイ」とさせた。
百四十三年前に琉球処分官の辞令を受けての、松田道之の涙ぐましいほどの努力を、私はいまの官房長官などの態度にかさねて思うことがある。「彼ら」は官房長官だけではない。
彼らは沖縄を処分して構わない異民族としか見ていない。
彼らの動機の基本は日米安保条約におけるアメリカの権益にたいする遠慮であって、その傘の下でみずからの安全を享受している。これこそ恥も外聞もかなぐり捨てて、アメリカに遠慮しているということだ。琉球処分は植民地獲得のためであったが、こんどは「植民地」の何だと言えばよいのだろう。
「日本語はしゃべれるの」と本土の人に聞かれた体験についても書いている。
それにしても、「祖国復帰」に燃えていたころは、まだ希望らしいものがあったなーと書きながら、思いだしたことに、いや、あのころでもあまり歴史に信頼できないという感じは持っていたなと思う。九十四翁の結語は寂しく厳しい。
新潮社
沖縄に限らないでしょう?
「彼ら」は、アメリカの好感を買うためだったら、たとえそれが本土の民だとしても平気で迫害し、踏み躙るでしょうから
たまたま、まだ本土の順番になっていないだけ、もしくは本土の人間が眠り呆けて気づいていないだけ、
人間の生の存続に不可欠な水の扱いを外国企業に明け渡すのが何よりもの証拠です。
沖縄が、、。沖縄だから、、。と言うのは、本土の人間の目に見えない差別感から来た、(差別がダメなら区別感と言い換えても良いけど、つまり本土の人間が知らないうちに沖縄を同じ日本だと無意識に思っていないことから来る)傲慢な気休めでしかないと考えます。
つくづく翁長さんにもっと生きていて欲しかったと思います
代償はいつも何かしらの「取引」で終わらせ様としている。
その上からの目線が私にも腹立たしい。
ここ何年もの間、「嘘つき改竄捏造などなどなどなど何でもあり政府」に日本中が舐められている状態だと思います。