三ヶ月ぶりかな、横浜の眼科医へ。
洗濯機だけ回して飛び出す。
東横線には座れなかったけれど、単行本を読めるほど空いている。
日吉、武蔵小杉などで、窓越しに見える上りホームは、お祭りでもあるかと思うほどの人人人だ。
長野から東京の大学に出てきて、夏休みなどで帰省してふたたび上京したときに赤羽駅のホームを見て驚いたのと同じ、ラッシュアワーに無縁な隠居、まして奈良井宿や松本の蔵造りの街に遊んで来た身には、むしろ懐かしい青春の感慨だ。
「小説 琉球処分」や「カクテルパーティ」(芥川賞受賞)の作家が92歳で発表した中編集の冒頭の作品「あなた」は、60年に渡って作者と共に歩み、支えてきた亡き夫人の思い出を切々と語る。
琉球士族の教養を秘めて、お見合いのあとの「デート」で、「わたし、一所懸命やります」と言った夫人のありようは亡妻を彷彿とさせた。
主人の仕事について、その社会的立場の浮き沈みには恬淡として、苦しい家計をやりくり(大城はなんども胆嚢炎を再発し復帰前なるがゆえに保険の利かない久留米の病院で死線をさ迷う)しながら二人の男の子を育てる。
役所と作家の二足のわらじをはく大城の書斎に幼い子供たちが入ることを禁じる。
大城が台湾の土産に40万円をこす宝石を買って帰ったときは、彼女が唯一心底怒ったときだ。
僕もバーゲンでブランド物のジャケットを半額(三万円くらい)で土産に買って帰ったときに亡妻はしばらく口もきいてくれなかった。
「まるでわかっていない」と。
大城が亡き夫人に心から感謝し、してやれなかった(些細な)あれこれを挙げて悔しがっている気持ちがしみじみとわかる。
こんな小説を書けない僕はこれをもつて亡妻に「俺も右に同じだよ」と報告しよう。
いつもの朝飯を食べて待合室に上がって見れば、椅子に座りきれずに壁沿いや廊下に一杯の患者。
やれやれ都会の生活だ。