お疲れさま今松「名人長二」一挙口演@国立演芸場
2018年 11月 18日
銭湯でシャツを脱いだら、目の前のテレビで御嶽海と貴景勝が立ちあがった。
力の入った相撲にそのまま見てしまった。
いくら弁明してもなんとなく胡散臭い大相撲の”実力者たち”がいなくなって戦国時代になると面白いな。
なにも今松を聴くために禊をしたわけではない。
「独演会をやりたがらない師匠にやってもらう会」主催の恒例の独演会、若い客が少ない、我らが今松という感じのオジサンたちが、にこにこして幕の開くのを待っている。
前座の寿袢が「無精床」のさいしょをさらって、左吉「身投げ屋」
金語楼の音源を持っている、両国橋で身投げするふりをして止めに入る人から金をせしめる商い、うまくいったとほくそ笑んでいると、現れたのが親子心中、見かねて儲けたばかりの金を差し出すと、その父親、見えないはずの目を開けて「今度は吾妻橋にいこう」。
来年真打になると言うが、少し年を食ってみえる。
一生懸命に演じているその口調に雲助がいる。
帰って調べたら、前の馬生の弟子の弟子、馬生の弟子だった雲助はオジサンに当たる、いいオジサンに恵まれた、精進されたし。
(けさはサンチの調子がイマイチなので散歩に出ていないので、昨日の写真)
今松「風の神送り」
ワクチンなどない昔は風邪は風邪の神が持ってきたのだから、みんなで風の神送りをして神様を川に流してしまう。
そのためのお金(なあに若い衆の飲み賃だ)を集める。
ひらがなしか書けない男が「ほうが」と書き、スペースがなくなったので、脇に小さく「ちゃう」と書いたのをもって回る。
さいしょに回るのは後に続く人のことを考えて気前のイイ人、二分しかくれなくても三両と書いて次の人に、、。
ゆったりした、話し手も楽しんでいるような昔の若者たちの会話、ヤバイなんて言葉は出てこない。
志遊「荒茶」
談志の弟子だが談志をあまり感じさせない、姿勢よく正面を向いた語り口。
秀吉亡き後、家康の味方につけようと本多佐渡が、秀吉を支えた実力派・荒大名を茶の湯に誘う。
ただ一人心得のある細川忠興の真似をしてその場をしのごうとする荒武者たちの、加藤清正に始まる滑稽な失敗の連続。
むかし昇太だったかで聴いてハラワタがよじれるほど笑ったのに、ちっとも笑えなかった。
僕の心境の変化か、マクラで「横紙破り」「横車を押す」などの言葉の由来を講釈したりするから、ただでさえ講談調の話し方がなおのこと硬い空気になってしまったのかもしれない。
今松「名人長二」
圓朝作の大長編を「ムダなところを切って、それでもやっぱり長い」噺にして、仲入りを挟んで上下として一挙口演!
今の日本には喪われた職人の名人気質、精魂込めて作った仏壇の値段を百両といい、その価値を示す「仏壇壊し」、これで名人の名が高くなる、長二が湯河原に湯治に行って、偶然から(圓朝噺は偶然の連続)自分の出自(捨てられ死にかかっていたところを救われた)ことを知る。救ってくれたけれど今は亡き養母の供養に谷中の天龍院に行く。
このあたり「東京骨灰紀行」を読むがごとき感、そういえば志ん生が五回でやったものを二回でやるから、土地、とくに湯河原の案内が省略されるが、谷中の圓朝の眠る全生庵について、圓朝が生きている間はこれがなかったことなど、だからその前に現存する天竜院としたのが、妙というか面白いなどとコメントを入れたのが、僕は面白い。
天龍院で偶然あった亀甲屋の細君が自分を捨てた母であることを疑い、ほんとうのことを言ってくれと迫る。
亀甲屋は、財産を狙うのか、と怒り暴力をふるい、いさかいとなり長二は弾みで二人を殺してしまう「親殺し」。
見どころ聴きどころを師匠の持ち味であっさりやる。
あっさりやっても親殺し、自首するために恩ある師匠に愛想尽かしの悪口雑言、離縁状を自ら書く。
南町奉行の筒井和泉守が、はやく処刑してくれと迫り一言の弁解もしない長二を救おうと頭をひねる。
正面を向いて苦渋の面もちの奉行の顔が長く、いつもの今松と違って見えた。
林大学頭から、実父の敵討ちというヒントをもらい、親殺しの背後のミステリを解くべく配下の腕利きを走らせたりして、みごと長二は実父の敵を討ったのだから無罪だとする、めでたしめでたし。
そのあたりが聴き取れなかったか、さすがに詰め込みすぎたか、ちょっとわかりにくかった。
休憩をはさんで90分以上、よくぞまとめてくださったが、まあほんとのことを言うと僕としては師匠がカットした「無駄なところ」を聴いて江戸の町に遊び、悪人たちの顔ももっとよく見たかった。
終わって9時15分は「はじめ」に寄ったらママが疲れて気の毒だ。
真っ直ぐ帰ってにゅーめんを作ってもらった。
電柱の向こうに上弦の月がかかっているのが面白くて撮ろうとしたが、フラッシュが焚かれたりしてウマく写らない、焦っていたら月が雲に隠れた。
力の入った相撲にそのまま見てしまった。
いくら弁明してもなんとなく胡散臭い大相撲の”実力者たち”がいなくなって戦国時代になると面白いな。
「独演会をやりたがらない師匠にやってもらう会」主催の恒例の独演会、若い客が少ない、我らが今松という感じのオジサンたちが、にこにこして幕の開くのを待っている。
前座の寿袢が「無精床」のさいしょをさらって、左吉「身投げ屋」
金語楼の音源を持っている、両国橋で身投げするふりをして止めに入る人から金をせしめる商い、うまくいったとほくそ笑んでいると、現れたのが親子心中、見かねて儲けたばかりの金を差し出すと、その父親、見えないはずの目を開けて「今度は吾妻橋にいこう」。
来年真打になると言うが、少し年を食ってみえる。
一生懸命に演じているその口調に雲助がいる。
帰って調べたら、前の馬生の弟子の弟子、馬生の弟子だった雲助はオジサンに当たる、いいオジサンに恵まれた、精進されたし。
今松「風の神送り」
ワクチンなどない昔は風邪は風邪の神が持ってきたのだから、みんなで風の神送りをして神様を川に流してしまう。
そのためのお金(なあに若い衆の飲み賃だ)を集める。
ひらがなしか書けない男が「ほうが」と書き、スペースがなくなったので、脇に小さく「ちゃう」と書いたのをもって回る。
さいしょに回るのは後に続く人のことを考えて気前のイイ人、二分しかくれなくても三両と書いて次の人に、、。
ゆったりした、話し手も楽しんでいるような昔の若者たちの会話、ヤバイなんて言葉は出てこない。
談志の弟子だが談志をあまり感じさせない、姿勢よく正面を向いた語り口。
秀吉亡き後、家康の味方につけようと本多佐渡が、秀吉を支えた実力派・荒大名を茶の湯に誘う。
ただ一人心得のある細川忠興の真似をしてその場をしのごうとする荒武者たちの、加藤清正に始まる滑稽な失敗の連続。
むかし昇太だったかで聴いてハラワタがよじれるほど笑ったのに、ちっとも笑えなかった。
僕の心境の変化か、マクラで「横紙破り」「横車を押す」などの言葉の由来を講釈したりするから、ただでさえ講談調の話し方がなおのこと硬い空気になってしまったのかもしれない。
圓朝作の大長編を「ムダなところを切って、それでもやっぱり長い」噺にして、仲入りを挟んで上下として一挙口演!
今の日本には喪われた職人の名人気質、精魂込めて作った仏壇の値段を百両といい、その価値を示す「仏壇壊し」、これで名人の名が高くなる、長二が湯河原に湯治に行って、偶然から(圓朝噺は偶然の連続)自分の出自(捨てられ死にかかっていたところを救われた)ことを知る。救ってくれたけれど今は亡き養母の供養に谷中の天龍院に行く。
このあたり「東京骨灰紀行」を読むがごとき感、そういえば志ん生が五回でやったものを二回でやるから、土地、とくに湯河原の案内が省略されるが、谷中の圓朝の眠る全生庵について、圓朝が生きている間はこれがなかったことなど、だからその前に現存する天竜院としたのが、妙というか面白いなどとコメントを入れたのが、僕は面白い。
天龍院で偶然あった亀甲屋の細君が自分を捨てた母であることを疑い、ほんとうのことを言ってくれと迫る。
亀甲屋は、財産を狙うのか、と怒り暴力をふるい、いさかいとなり長二は弾みで二人を殺してしまう「親殺し」。
見どころ聴きどころを師匠の持ち味であっさりやる。
あっさりやっても親殺し、自首するために恩ある師匠に愛想尽かしの悪口雑言、離縁状を自ら書く。
南町奉行の筒井和泉守が、はやく処刑してくれと迫り一言の弁解もしない長二を救おうと頭をひねる。
正面を向いて苦渋の面もちの奉行の顔が長く、いつもの今松と違って見えた。
林大学頭から、実父の敵討ちというヒントをもらい、親殺しの背後のミステリを解くべく配下の腕利きを走らせたりして、みごと長二は実父の敵を討ったのだから無罪だとする、めでたしめでたし。
そのあたりが聴き取れなかったか、さすがに詰め込みすぎたか、ちょっとわかりにくかった。
休憩をはさんで90分以上、よくぞまとめてくださったが、まあほんとのことを言うと僕としては師匠がカットした「無駄なところ」を聴いて江戸の町に遊び、悪人たちの顔ももっとよく見たかった。
真っ直ぐ帰ってにゅーめんを作ってもらった。
電柱の向こうに上弦の月がかかっているのが面白くて撮ろうとしたが、フラッシュが焚かれたりしてウマく写らない、焦っていたら月が雲に隠れた。
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そらぽん
at 2018-11-19 02:08
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サンチちゃん 調子は如何ですか?
「精進されたし」で赤ペン先生(上司)を思い出しました
さらりとこう書いて下さる方は、もう周囲にいません
「精進されたし」で赤ペン先生(上司)を思い出しました
さらりとこう書いて下さる方は、もう周囲にいません
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saheizi-inokori at 2018-11-19 05:54
> そらぽんさん、サンチも確実に年を取っていきます。
元気のある日とそうでない日があり、気をつけてやらなければなりません。ストレスに弱いなあ。
元気のある日とそうでない日があり、気をつけてやらなければなりません。ストレスに弱いなあ。
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j-garden-hirasato at 2018-11-19 06:39
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福
at 2018-11-19 06:43
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先代馬生の世話をする弟子たち(今やベテランぞろい)の写真を見たことがあります。みなすっと粋ななりをしていて、このへんも先代の教えかなと思いました。
先代小さんと談志の芸は似ていない、談志と弟子たちの芸も似ていない(敢えて似ているところを言えば、感情移入の激しいところでしょうか)。
師匠と弟子、永遠の謎多きテーマです。
先代小さんと談志の芸は似ていない、談志と弟子たちの芸も似ていない(敢えて似ているところを言えば、感情移入の激しいところでしょうか)。
師匠と弟子、永遠の謎多きテーマです。
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saheizi-inokori at 2018-11-19 07:50
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saheizi-inokori at 2018-11-19 07:52
by saheizi-inokori
| 2018-11-18 12:01
| 落語・寄席
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Comments(6)