ヤバイぞ爺さん
2018年 11月 12日
新婚当時の日曜日は朝からちびちびやったこともある、なんかヘンな気取りもあったな。
テレビや紀行文などで一人で昼下がり(朝でもいいけれど)の酒を楽しむのを見聞きすると、いいなァ、と思うけれど、自分ではやらない。
晩酌がまずくなる、なんて百閒みたいなことを思ってのことではなく、アル中に対する自戒であり、飲んじゃうとだるくなって後の半日がかえってしんどくなるような気もする。
隠居になってから、散歩の出先でチョイといっぱいやりたいような店を見つけても縁なき衆生を決め込んでまっすぐ帰る。
これは、晩酌への気兼ねもあるし、飲み始めて気分が乗ると、とくに美形なんかがいたりすると止まらなくなるのではないかという自己管理力に対する不信のせいもある。
それは、帰りの特急を待つ田島駅で、ニューヨーク研修旅行グループへのラインで「会津ナウ」みたいな記事を発信したら、こっち出身の若者から「花泉」を飲むようにというアドバイスがあったからだ。
「男山」「国権 小法師」「會津あらばしり」「てふ」などは飲んだが「花泉」は飲んでない。
義理人情に篤い僕としては後輩の懇篤なるアドバイスを無には出来ず、弱ったなあとおもったら、
むかし山形の駅前広場にちょっとした小屋があってその中はぐるっと燗酒の自販機、50円だったかを好きな酒の穴に入れると特級酒なら70㏄、一級なら100㏄、二級酒なら150㏄みたいな塩梅でとくとくと酒が出る。
乾き物なんかを売ってる、これはオバサンがいて、スルメなんかをしゃぶりながら帰りの列車を待ったのを思い出す。
この時は独身、もちろん昼酒だ。
時うつり半世紀を閲して今、往時の会津のことどもを懐旧した旅の終わりに田島の駅で自販機の昼酒を飲むのは、これは原点回帰だ!
70ccで寝た子が起こされて、14時57分発、浅草行きの特急列車の僕の席に写真のような「會津金紋」の300ccが乗ったのは至極当然の成り行きであった。
今もあるだろうか、ウイスキーのポケット瓶についていたような小さなキャップの猪口に静かにこぼさないように注いで、舐めるように飲む。
ぱっとみえた道路標識には「魚沼・桧枝岐」とある、それぞれに貧しいかもしれないけれど豊かな暮しがあるのだろう。
こうしてみると、人が暮らすための灯りのなんとかそけく頼りなげで、しかもそれでいて温かそうなことよ。
常温の酒はうまいなあ。
土産や汗に濡れた着替えで重くなったリュックを背負ってもちゃんと歩けるような酔いだ。
こりゃあ、エライことに目覚めたか、味をしめたらこの爺さんヤバイぞ。
心地酔い、かな(笑)
益々、旅心が疼きます…
次の居残り会で、じっくりお土産話を聞かせていただきます。
お猪口を小さいのに変えてみましよう。
思いだしました。
定年して家に居るようになってからは
昼はビールを飲んでいましたねぇ~。
私も若い頃はそんな父の姿は見たく
なかったのですが 今 父の亡くなった
年齢に近くなってくると「生きてる内が華」
人に迷惑をかけないのなら 好きな事を
すればいいよね・・なんて思うのです。
楽しそうなブログを読んでホッコリしました。
ありがとうございました。
晩秋もいいものですよね ぶらり旅憧れます
森繁久彌さんが言っておられたそうですが
俳優は哀愁 色気 品格が必要だと
俳優でなくともsaheiziさんは全ておもちですね 更に粋まで
電車だから景観の経過もある。
浅草や上野は昼飲みの店がたくさんあって、驚かされたのは「まだ夜まで間がある、つないでなくちゃ」と言った30代半ばの男の独り言でした。