オジサン部長がスカートをはいてきた 「総務部長はトランスジエンダー 父として女として」(岡部鈴)
2018年 10月 25日
だいぶ前のことだが、東京湾クルーズというのに参加して女装願望のひとたちのグループと一緒になった。
船底でちんけな酒盛りをしていたら、その何人かが輪に入って来て、彼らのことをいろいろ話してくれた。
本書も最初は、単なる女装趣味の男(広告会社の総務部長、妻と長男あり)の面白可笑しい話かと思って、とちゅうでやめようか(なんだか覗き趣味みたいだから)と思った。
語り口が軽快で読みやすいけれど、どこか真率な調子があるので、読み続けているうちに彼(彼女)の苦しみも伝わってきて、さいごまで読んでしまった。
彼の場合は、軽い遊び感覚で女装してみて、だんだん自分がほんとうの女性として生きたい・生きるべきだと決断して、医師から「性同一性障害」だという診断書を貰い女性ホルモンの注射を続け、睾丸の摘出手術も受ける。
50歳になるかどうかという頃だ。
(おや、Mちゃんなにみつけたの?)
女装の仲間との集まりで、ほんとの女性(純女というそうだ)かと思うほどの美人にあって、ショックを受け憧れる。
どうやったら彼女のようになれるか、と試行錯誤しているうちに内なる女性願望に目覚めるのだが、「女装入門」のように具体的ないろいろが覗き趣味をくすぐったのだ。
(ほらほら、道草食ってると遅れるぞ)
ひとくちに女装する人といってもさまざまだ。
ゲイもいるし女性を愛する人もいる。
女装するだけを楽しむ人もいるが、女性になりたい人もいる。
カミングアウトをする人、しない人。
性分化疾患という生まれついて性の分化がはっきりしない人もいる。
「男らしい」「女らしい」とはいったいなんだ。
筆者の場合、会社や同級生、兄夫妻、認知症の母親などとはウマく折り合っていく(受け入れてくれる)が、何と言っても妻だ。
長年連れ添って子供を育ててきた夫が、ある日「これから女になる」と化粧を始めスカートをはいて会社に出かける(筆者は外にトランクルームを借りてそこを変身基地としている)となったら、そりゃあ、びっくりするどころではない。
口をきいてくれなくなるのも当然。
でも筆者の妻は小学生の息子のこと、経済的問題もあってか離婚はしない(中学の入学式には出席を許されない)。
高校受験を控えて少しづつ相談するようになったというのは、妻も強い人だと思う。
性多様性を受け入れるプロジエクトを始めていた電通が親会社だったためか、会社の社長以下が好意的に(そのまま)受け入れてくれたこと、幼稚園からの一貫教育の同級生たち、とくに「苦しかったんだろうね」と一人合点してハグしてくれる女の子などもいたこと、自分の着ないブランド服や化粧品をくれる兄嫁、、理解ある人に恵まれたのは彼女の幸いだ。
若いころ、オカマの人がいる酒場で呑むこともあったが、あの頃は「気持ちワリ一っ!」という反応が大半だった。
先日も杉田議員の「生産性発言」や「新潮45」事件をめぐる特集記事の中でカミングアウトした何とかいう議員(元?)が、「あまり居丈高に責めるべきではない、そういうあなたもついこの間まで気持ち悪いと言ってたのを私は知っている。時間をかけて社会の考え方を変えていくしかない」みたいなことを書いていたが、気持ち悪いとこそ感じなかったけれど、かつては、あれは本人の趣味みたいなものだと思っていた無知な僕は心の中で彼に頭を下げた。
注射や手術のために「性同一性障害」、病気だという診断を貰ったが、自分は病気ではない、単にありたい自分として自由に生きたいと思っている普通の人間だと宣言する鈴(りん)ちゃん、がんばって生きろよ。
化粧とか服装とか、女性って時間も金もかかるみたいだし。
高校の文化祭で、ドガの踊り子に扮したとき、事務の女の子の長い靴下を借りて紙で作ったスカートをはいて、なんかどきどきしたなあ。
あのとき、こっちの道に進むなんてかすりもしなかったけれど、それを後悔もしないし良かったとも思わない。
船底でちんけな酒盛りをしていたら、その何人かが輪に入って来て、彼らのことをいろいろ話してくれた。
語り口が軽快で読みやすいけれど、どこか真率な調子があるので、読み続けているうちに彼(彼女)の苦しみも伝わってきて、さいごまで読んでしまった。
彼の場合は、軽い遊び感覚で女装してみて、だんだん自分がほんとうの女性として生きたい・生きるべきだと決断して、医師から「性同一性障害」だという診断書を貰い女性ホルモンの注射を続け、睾丸の摘出手術も受ける。
50歳になるかどうかという頃だ。
女装の仲間との集まりで、ほんとの女性(純女というそうだ)かと思うほどの美人にあって、ショックを受け憧れる。
どうやったら彼女のようになれるか、と試行錯誤しているうちに内なる女性願望に目覚めるのだが、「女装入門」のように具体的ないろいろが覗き趣味をくすぐったのだ。
ひとくちに女装する人といってもさまざまだ。
ゲイもいるし女性を愛する人もいる。
女装するだけを楽しむ人もいるが、女性になりたい人もいる。
カミングアウトをする人、しない人。
性分化疾患という生まれついて性の分化がはっきりしない人もいる。
「男らしい」「女らしい」とはいったいなんだ。
性別が仮に、社会において色分けされた名札のようなものだとすると、その名札が自分に合わないと思った段階で書き換えればいいだけの話ではないのか。と、云ってはみるが、ことはそう簡単ではない。
筆者の場合、会社や同級生、兄夫妻、認知症の母親などとはウマく折り合っていく(受け入れてくれる)が、何と言っても妻だ。
長年連れ添って子供を育ててきた夫が、ある日「これから女になる」と化粧を始めスカートをはいて会社に出かける(筆者は外にトランクルームを借りてそこを変身基地としている)となったら、そりゃあ、びっくりするどころではない。
口をきいてくれなくなるのも当然。
でも筆者の妻は小学生の息子のこと、経済的問題もあってか離婚はしない(中学の入学式には出席を許されない)。
高校受験を控えて少しづつ相談するようになったというのは、妻も強い人だと思う。
若いころ、オカマの人がいる酒場で呑むこともあったが、あの頃は「気持ちワリ一っ!」という反応が大半だった。
先日も杉田議員の「生産性発言」や「新潮45」事件をめぐる特集記事の中でカミングアウトした何とかいう議員(元?)が、「あまり居丈高に責めるべきではない、そういうあなたもついこの間まで気持ち悪いと言ってたのを私は知っている。時間をかけて社会の考え方を変えていくしかない」みたいなことを書いていたが、気持ち悪いとこそ感じなかったけれど、かつては、あれは本人の趣味みたいなものだと思っていた無知な僕は心の中で彼に頭を下げた。
化粧とか服装とか、女性って時間も金もかかるみたいだし。
あのとき、こっちの道に進むなんてかすりもしなかったけれど、それを後悔もしないし良かったとも思わない。
Commented
by
zoushoin at 2018-10-25 11:23
こんにちは。
世界的認知度でトランスジェンダーは広がりを見せていますね。
小学校のクラス会に行ったら、男の子が女の子になっていました。一回女性と結婚して、離婚後女性に性転換したそうです。
子どものころから「僕でなく、あたし」と言っていたので、やっぱりそうなったかと納得。
しかし、そうなるまで葛藤はあったようです。
兵役義務がある国では困るでしょうね。
わが家は母なる太陽のような夫と、任侠肌の妻のわたしです。
世界的認知度でトランスジェンダーは広がりを見せていますね。
小学校のクラス会に行ったら、男の子が女の子になっていました。一回女性と結婚して、離婚後女性に性転換したそうです。
子どものころから「僕でなく、あたし」と言っていたので、やっぱりそうなったかと納得。
しかし、そうなるまで葛藤はあったようです。
兵役義務がある国では困るでしょうね。
わが家は母なる太陽のような夫と、任侠肌の妻のわたしです。
0
Commented
by
saheizi-inokori at 2018-10-25 11:28
> zoushoinさん、それは最強最高の夫婦です!医者いらずだなあ。
Commented
by
そらぽん
at 2018-10-25 16:24
x
Commented
by
haru_rara at 2018-10-25 16:31
これだけ性的マイノリティについての情報が開示されている世の中にあってなお、自分の理解できないことに対して嫌悪を露わにしたり否定したりすることしかできない、無知で未熟な態度には驚くばかりです。
ゲイの友人は、『新潮45』が休刊しておわり、なら何の意味もないと言っていました。
ゲイの友人は、『新潮45』が休刊しておわり、なら何の意味もないと言っていました。
Commented
by
jarippe at 2018-10-25 17:02
Commented
by
saheizi-inokori at 2018-10-25 17:30
> そらぽんさん、安田さん、ホントに凄いですね。目が生きてます。
Commented
by
saheizi-inokori at 2018-10-25 17:41
> haru_raraさん、人種差別と通じるのかなあ。本心では障害者を差別する人は多いのではないかと思います。
Commented
by
saheizi-inokori at 2018-10-25 17:43
> jarippeさん、トイレひとつとっても苦労が多いし、色目で見る人も多いそうです。
Commented
by
ikuohasegawa at 2018-10-26 14:33
「発達障害に生まれて」の一節が浮かびました
私たちはあまりにも「普通である」ことや、「世間並み」であることに縛られているような気がする。もしかしたら「普通」でなくてもいいのかもしれない。その答えは、自閉症児を育てる家族の生き方の中にあるはずだ。
今読んでおります。
私たちはあまりにも「普通である」ことや、「世間並み」であることに縛られているような気がする。もしかしたら「普通」でなくてもいいのかもしれない。その答えは、自閉症児を育てる家族の生き方の中にあるはずだ。
今読んでおります。
Commented
by
saheizi-inokori at 2018-10-26 17:18
> ikuohasegawaさん、みんな違ってみんないい、ですかね。
by saheizi-inokori
| 2018-10-25 10:41
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
Trackback
|
Comments(10)