義満である
2018年 10月 20日
クリニックでリハビリを終えて、あ、財布を忘れてきた、いつも使っているがま口を財布に変えようとしてあれとこれをやって、、そして肝心の財布を忘れる。
先まわりしていろいろ考えすぎる、物忘れが激しくなったら先のことなんか後にすればいいのにね。
レジのお姉さんは診察カードを忘れても、お金を忘れてもにっこり、次回ね。
能楽堂に早口くつき過ぎたので近所のカフエでカードを使える店を探して三軒目、どうやらいい店だ。 点眼もして、久々に夢中になれそうなミステリを読んで一時間、雨も上がって落ち着いた匂いがする都会の夕間暮れ。
今週も35周年記念公演が続く。
狂言「右近左近(おこさこ)」
右近(おこ、と読む)は豊作だというのに気がかりがあり不機嫌だ。
先まわりしていろいろ考えすぎる、物忘れが激しくなったら先のことなんか後にすればいいのにね。
レジのお姉さんは診察カードを忘れても、お金を忘れてもにっこり、次回ね。
右近(おこ、と読む)は豊作だというのに気がかりがあり不機嫌だ。
隣り左近の牛が我が田を荒らしてしょうがない、地頭に訴えて出ようかと女房に相談すると、発言力もあり地頭との仲もいい左近にはかなわないから我慢しろという。
どうにも我慢できないので、地頭の前に出て言い負けないようにと妻を地頭にして家で訴訟の稽古、実直な百姓・右近が、稽古でもがちがちになって「ええと、左近の牛を右近が食って、右近が左近になって、オコがサコで、、」支離滅裂になっちまう。
実は女房は左近とできていたから右近を訴訟にだしたくない。
それを知っていながらも右近は女房を頼りにせずにいられない。
そしてやっぱり、あかん、女房を力で従わせようとするが、あっちの方が上、わわしい!
能「自然居士」は、二三度見ている、友枝さんのは厳島能だった。
きのうがいちばん面白く見られた。
詞章がディスプレイで見られることもありがたいが、観世流26代の宗主・清和さんの古式による初演が、分かりやすく迫力に満ちて芝居を見る楽しみを満喫させてくれたからだ。
「山に籠って修行するのも市中に交じって人と接するのも同じこと、身を捨てて人を救うのも法の道」という自然居士が、我が身を売ってその金で買った小袖で両親の追善をしてくれと言う、娘を人買いから取り戻すのだ。
はじめの説法の威風堂々、僕も頷く説得力、人買いを追いかけて琵琶湖まで、舟に裾を濡らして引き戻そうとする。
「道理」(買ったという)がある人買い、人を助けるという法理がある自然居士。
二人の応酬が迫力満点、そこらのチンピラは居士の一喝で尻尾を巻きそうだ。
「殺すぞ!」「殺されても(舟を)降りるもんか!」
で~んと座り込む居士だ。
人買いは、往生して、この上は慰みものにして返してやろうと、自然居士にいろいろやらせる。
観阿弥の作品で自らも得意とした演目を、その頃の台本で演じる。 シテ清和のつけた面は世阿弥の時代から伝わっていて、清和さんも使うのは二回目とか、細面の貴公子でありながら、どこかアルカイックな風情もあって、張り込んで正面席にしてよかつた。
どうにも我慢できないので、地頭の前に出て言い負けないようにと妻を地頭にして家で訴訟の稽古、実直な百姓・右近が、稽古でもがちがちになって「ええと、左近の牛を右近が食って、右近が左近になって、オコがサコで、、」支離滅裂になっちまう。
実は女房は左近とできていたから右近を訴訟にだしたくない。
それを知っていながらも右近は女房を頼りにせずにいられない。
そしてやっぱり、あかん、女房を力で従わせようとするが、あっちの方が上、わわしい!
おのれは左近とは夫婦じゃぞえ!みな笑え、笑え見所に向かってヤケの自虐的笑い、そしてトボトボと消えていく、コキュオコ!
きのうがいちばん面白く見られた。
詞章がディスプレイで見られることもありがたいが、観世流26代の宗主・清和さんの古式による初演が、分かりやすく迫力に満ちて芝居を見る楽しみを満喫させてくれたからだ。
「山に籠って修行するのも市中に交じって人と接するのも同じこと、身を捨てて人を救うのも法の道」という自然居士が、我が身を売ってその金で買った小袖で両親の追善をしてくれと言う、娘を人買いから取り戻すのだ。
「道理」(買ったという)がある人買い、人を助けるという法理がある自然居士。
二人の応酬が迫力満点、そこらのチンピラは居士の一喝で尻尾を巻きそうだ。
「殺すぞ!」「殺されても(舟を)降りるもんか!」
で~んと座り込む居士だ。
人買いは、往生して、この上は慰みものにして返してやろうと、自然居士にいろいろやらせる。
中ノ舞、舟の起源の語り、扇と数珠を使っての簓、カツコの舞、屈辱に耐えて居士の芸尽くし。
めでたく娘を連れて都に帰っていく。
世阿弥を侍らせて観ていた足利義満は、上機嫌で傍らの世阿弥に、おまえの小股を使ってもやれないだろうと冗談めかしていつた。
それは小器用な世阿弥の本質的欠点をつく冗談でもあつた、と松岡さん。
古式ならではの冒頭の説教は、ずつと正面を向いて座ってやるのだから。
シテとワキのセリフのイキイキした応酬、その声の良さ、広忠の大鼓を始めとするお囃子の面白さ、、
ぼくはなんだか義満になったような心持ちがしたよ。
のう、世阿弥よ、お前のパパもやるのう、なんてね。
ところで僕の祖先のミトコンドリアをもつた女性はそこで観ていたのだろうか。
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j-garden-hirasato at 2018-10-20 11:52
能楽待ちでカフェですか。
余裕をもってお出かけですね。
自分は、常にギリギリ人生です。
余裕をもってお出かけですね。
自分は、常にギリギリ人生です。
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saheizi-inokori at 2018-10-20 12:44
> j-garden-hirasatoさん、はい、クリニックがさつさと終わったものですから。
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hanamomo60 at 2018-10-20 21:42
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saheizi-inokori at 2018-10-20 22:19
> hanamomo60さん、解説なんか出来はしませんがご案内は喜んでします。
by saheizi-inokori
| 2018-10-20 09:55
| 能・芝居・音楽
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Comments(4)