義満である
2018年 10月 20日
先まわりしていろいろ考えすぎる、物忘れが激しくなったら先のことなんか後にすればいいのにね。
レジのお姉さんは診察カードを忘れても、お金を忘れてもにっこり、次回ね。
右近(おこ、と読む)は豊作だというのに気がかりがあり不機嫌だ。
どうにも我慢できないので、地頭の前に出て言い負けないようにと妻を地頭にして家で訴訟の稽古、実直な百姓・右近が、稽古でもがちがちになって「ええと、左近の牛を右近が食って、右近が左近になって、オコがサコで、、」支離滅裂になっちまう。
実は女房は左近とできていたから右近を訴訟にだしたくない。
それを知っていながらも右近は女房を頼りにせずにいられない。
そしてやっぱり、あかん、女房を力で従わせようとするが、あっちの方が上、わわしい!
おのれは左近とは夫婦じゃぞえ!みな笑え、笑え見所に向かってヤケの自虐的笑い、そしてトボトボと消えていく、コキュオコ!
きのうがいちばん面白く見られた。
詞章がディスプレイで見られることもありがたいが、観世流26代の宗主・清和さんの古式による初演が、分かりやすく迫力に満ちて芝居を見る楽しみを満喫させてくれたからだ。
「山に籠って修行するのも市中に交じって人と接するのも同じこと、身を捨てて人を救うのも法の道」という自然居士が、我が身を売ってその金で買った小袖で両親の追善をしてくれと言う、娘を人買いから取り戻すのだ。
「道理」(買ったという)がある人買い、人を助けるという法理がある自然居士。
二人の応酬が迫力満点、そこらのチンピラは居士の一喝で尻尾を巻きそうだ。
「殺すぞ!」「殺されても(舟を)降りるもんか!」
で~んと座り込む居士だ。
人買いは、往生して、この上は慰みものにして返してやろうと、自然居士にいろいろやらせる。
余裕をもってお出かけですね。
自分は、常にギリギリ人生です。