老人よ書を携えて旅にでよう

わずか一泊、しかも関東の内の旅でも、行ってくると五感がリフレッシュされたようで、けさのサンチとの散歩もなんだか新鮮な楽しさがあった。
叩けよ、さらば開かれん、めんどくさがっていないで、まず出かけることだ。
あとは想定外（もともとなにも想定してはいなかったのだが）の展開で行き先も見るもの遇う人食うもの、「あなた」任せ、僕の中の、ふだんは小さくなっている「あなた」任せ・運まかせで、「健やかな不健康」の非日常を享受する。
とはいえ、もう夜更かしも、飲みすぎも、無駄遣いも出来なくなってはいるのだが、「してもいい」と心のブレーキを解放して歩くのがミソなのだ、空が見えて風が通り抜けるトロッコ列車のように。
百閒先生は、阿房列車の途中駅で降りて荷物を預けた後、駅前のベンチにヒマラヤ山系と並んで座っているだけで、また荷物を受けだして汽車に乗った。

先生に私淑する僕だって、若いころから、たとえば仙台から山形までちびちびやりながら行って、着いたらそのまま帰って来るなんてことを、やってきた。
なにもしないのに車窓の景色が変わっていく、そこで本を読んでいるなんて至福、これだけでも旅に出る甲斐があるというもの。
ほれみろ、世の中には同好の士がいるぜ、奥のオジサン、椅子の上に胡坐をかいて本を読んでいる。
旅を実りあるものにする極意は「実りある旅にしようなんて思わないこと」ではないか。
うまいものを食おう、珍しいものを見よう、美しい自然を満喫しよう、いいものを手に入れよう、得しよう、、こういう欲を捨てて、ひたすら深く息をすることだけを考えて歩く。
自分探しなんてまっぴら、むしろ自分を捨てに行くのだ。
すると、ほらほら、向こうからやってくる。美しいもの懐かしいものも。ただね、ちょっと心残りがあるっちゃあるんだ。
それは、桐生のこの店ｕｓｉｎｅという、夫婦で作っている、石蔵を改造した帽子やで売っていた紺色のベレー帽を欲しかったんだけど、そっと値札を見たら解放したはずのブレーキが作動してしまったのよ。
松本ぶらりの家具屋でロッキングチエアを見たときもそうだった、急ブレーキがかかってつんのめったのさ。
でも、いいものを見たり聞いたりはいいとして、後に残るものを買わないのも、「実りある旅」のコツかな。
あの焼き鳥や、あの空間、今夜もあの人たちが来るのだろうか、それとも誰が。