天皇が舞い、太郎冠者が酔っぱらう 能「絃上」狂言「木六駄」
2018年 10月 14日
国立能楽堂、開場35周年記念公演が続く。
きのうは、狂言「木六駄」、シテ・太郎冠者を演じる三宅右近の父親・9世三宅藤九郎が、峠の茶屋で太郎冠者が酔って舞う「鶉舞」を導入したという。
経験を積んだ人でなければできないという大曲だ。
「真っ黒になって降る」、雪の降る山道を一人で12頭もの牛を導いて、しかも片手に土産の酒樽も下げて行けというブラックな主人、布子に綿を入れ足袋も履かせるからという駄賃で釣る、叔父に歳暮として届けるのだ。
太郎冠者が、そんな労働条件でも喜んで山道を苦労しながらやってくる。
木を積んだ牛六頭(木六駄)と炭を積んだ六頭が、動かなくなったり崖から落ちそうになったり、そのたびに杖一本で、自分もよろけそうになったりして、何とカワイソウ。
やっと、峠の茶屋に着いて、酒を所望すると、ない、なんとかならないか、ならない。
茶屋の主は酒樽に目を止め、そこから飲んだらいい、あとは水を足しておけばわからないと唆す。
寒さで凍えそうになっている太郎冠者が、一杯めでは「ただ、ヒイやりと」しただけ、二杯飲み、主にも勧め、だんだん温かくなってきた二人の酒盛り、楽しそうでウマそうで、僕も仲間に入りたくなるようだ。
興に乗って太郎冠者が鶉舞を舞う。
二世千作は、
(能楽堂中庭)
酔って気が大きくなって太郎冠者は木一駄を茶屋の主に進呈、残りは売ってくれといい、炭六駄だけで叔父の所に着く。
伯父が主人からの手紙に木六駄とあるがどうしたというと「あっても来ない」と平然たる太郎冠者、「木六駄に炭六駄を持たせる、その木六駄というのは私の新しい名前だ」と嘯く、ゆらゆら揺れながら。
手酒とあるが?あってもない。
モリカケを想起するとぼけたやり取り、違うのは太郎冠者が「許されよ」と頭を抱えて逃げるところ、カワイソウ。
ふたりの名人芸を観られたのは幸いだった。
能「絃上(けんじょう)」
絃上とは枇杷の名器の名前、秘曲を伝授した者のみが弾くことを許される。
枕草子に「琵琶は玄上、、」とあり今昔物語には霊力を備えた楽器として描かれる。
などと冒頭の三浦裕子の話を聴いていると「絃上」という琵琶が存在感を持ってきたから不思議、霊力の所以か。
日本三大音楽家のひとり藤原師長(あとは蝉丸と世阿弥とは三浦説)は、琵琶の奥義を極めようと入唐を目指すが、村上天皇(琵琶と梨壺女御の琴)の名演奏
後シテ・村上天皇が軽やかに楽し気に「早舞」を舞う。
天皇が登場する能はないのじゃないかと三浦先生、楽屋で三千春に訊いたら、「ニッコリ笑った」とのこと。
ツレ・師長・金剛龍謹のバリトンのような声が素晴らしく、笛の一噌幸弘はいつもながら圧巻の技を聞かせた。
今朝は5時半起床、天気予報は曇り、実際には小雨、迷ったが大洗濯したら日がさしてきた。
一度外に出て雨脚が強くなったので引き返したサンチの散歩も仕切り直し。
痛む右腕をかばいながらダイソンもした。
きのうは、狂言「木六駄」、シテ・太郎冠者を演じる三宅右近の父親・9世三宅藤九郎が、峠の茶屋で太郎冠者が酔って舞う「鶉舞」を導入したという。
経験を積んだ人でなければできないという大曲だ。
「真っ黒になって降る」、雪の降る山道を一人で12頭もの牛を導いて、しかも片手に土産の酒樽も下げて行けというブラックな主人、布子に綿を入れ足袋も履かせるからという駄賃で釣る、叔父に歳暮として届けるのだ。
太郎冠者が、そんな労働条件でも喜んで山道を苦労しながらやってくる。
木を積んだ牛六頭(木六駄)と炭を積んだ六頭が、動かなくなったり崖から落ちそうになったり、そのたびに杖一本で、自分もよろけそうになったりして、何とカワイソウ。
茶屋の主は酒樽に目を止め、そこから飲んだらいい、あとは水を足しておけばわからないと唆す。
寒さで凍えそうになっている太郎冠者が、一杯めでは「ただ、ヒイやりと」しただけ、二杯飲み、主にも勧め、だんだん温かくなってきた二人の酒盛り、楽しそうでウマそうで、僕も仲間に入りたくなるようだ。
興に乗って太郎冠者が鶉舞を舞う。
二世千作は、
この鶉舞で一番難な所は、小回りをしながら、拍子を踏むのと、浮くのとでしょう。唯でもこの拍子や浮きの小回りはむつかしいものですが、それを酔うてやると言うのですから大変です。拍子の合間々々や浮きの半間によろけるのですが、この間が大事でして、どこまでも小舞を舞っている間ですから全然間を外してはいけませんし、間に合いすぎると酔うたようには見えません。合うて合わずと言う心持で勤めます。まことに右近さんも結構でした。
(狂言の舞台の酔い方は)どこまでも品よく晴れやかに酔うのが結構かと存じます。(狂言三人三様 野村万作の巻)
酔って気が大きくなって太郎冠者は木一駄を茶屋の主に進呈、残りは売ってくれといい、炭六駄だけで叔父の所に着く。
伯父が主人からの手紙に木六駄とあるがどうしたというと「あっても来ない」と平然たる太郎冠者、「木六駄に炭六駄を持たせる、その木六駄というのは私の新しい名前だ」と嘯く、ゆらゆら揺れながら。
手酒とあるが?あってもない。
モリカケを想起するとぼけたやり取り、違うのは太郎冠者が「許されよ」と頭を抱えて逃げるところ、カワイソウ。
ふたりの名人芸を観られたのは幸いだった。
絃上とは枇杷の名器の名前、秘曲を伝授した者のみが弾くことを許される。
枕草子に「琵琶は玄上、、」とあり今昔物語には霊力を備えた楽器として描かれる。
などと冒頭の三浦裕子の話を聴いていると「絃上」という琵琶が存在感を持ってきたから不思議、霊力の所以か。
日本三大音楽家のひとり藤原師長(あとは蝉丸と世阿弥とは三浦説)は、琵琶の奥義を極めようと入唐を目指すが、村上天皇(琵琶と梨壺女御の琴)の名演奏
撥音爪音ばらりからりからりばらりと感涙もこぼれ嬰児も、踊るばかりなりや弾いたり弾いたり、面白やに触れて、日本では習うものはないと考えたのは間違いだったと入唐をあきらめる。
天皇が登場する能はないのじゃないかと三浦先生、楽屋で三千春に訊いたら、「ニッコリ笑った」とのこと。
ツレ・師長・金剛龍謹のバリトンのような声が素晴らしく、笛の一噌幸弘はいつもながら圧巻の技を聞かせた。
一度外に出て雨脚が強くなったので引き返したサンチの散歩も仕切り直し。
痛む右腕をかばいながらダイソンもした。
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wawa38 at 2018-10-14 15:19
能楽堂中庭の萩が、以前にもまして見事ですね。
秋が深まっています。
秋が深まっています。
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saheizi-inokori at 2018-10-14 16:59
> wawa38さん、休憩時間にこの小さな庭をぐるつと回るのが楽しみです。
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jarippe at 2018-10-14 17:34
太郎冠者の舞うのを見たいものです 面白そうですねー
里の紅葉 ちょっと早いけれどそれがまたいいです
木によってかなりいい色になっているものも
場所にもよりますが
わざわざお出かけになるのでしたらもう一週間ほど待ったほうが
いいのかも 今年は早い気がしますねー
11月初めでもよかった筈なんですけどねー
里の紅葉 ちょっと早いけれどそれがまたいいです
木によってかなりいい色になっているものも
場所にもよりますが
わざわざお出かけになるのでしたらもう一週間ほど待ったほうが
いいのかも 今年は早い気がしますねー
11月初めでもよかった筈なんですけどねー
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saheizi-inokori at 2018-10-14 17:44
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j-garden-hirasato at 2018-10-15 07:10
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saheizi-inokori at 2018-10-15 07:30
> j-garden-hirasatoさん、サンチはあっちでクンクンこっちでクンクン、世界探訪に余念がありません。
by saheizi-inokori
| 2018-10-14 12:48
| 能・芝居・音楽
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