当り前のこと 「人殺しの息子と呼ばれて」(張江康之)

人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、拷問と虐待によってマインドコントロール下に置き、お互いの不満をぶつけさせることにより相互不信を起こして逆らえなくし、被害者同士で虐待をさせることで相互不信を一層深くさせ、自分の手は汚さずに用済みとなった人間を殺害して死体処理を行わせた(裁判では6人の殺害と1人の傷害致死)。犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされる(wikipedia)
北九州連続監禁殺人事件(2002年)。
「拷問」と「虐待」がどういうことだったか、「死体処理」の仕方など本書でもさらっとしか書いてないが、それでも胸が痛くも悪くもなる。
自分の家族、とくに幼子までも虐待の対象とし死体処理を手伝わせる、まさに検事が指弾するとおり「鬼畜の所業」だ。

人の民事訴訟の内容まで微に入り細に入り教えてくれるメデイアも、そのあまりの凄惨さに報道を自主規制したこともあって、僕は本書を読むまで知らなかった事件だ。
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フジテレビのプロデューサーとして筆者がこの事件を「追跡―平成オンナの大事件」として報じたのは2017年6月9日、その4日後に、主犯の息子から「事件からずいぶん時間が経って、ようやく風化しつつあるというのに、、おかげでおれのことがネット上で叩かれて困っています」という電話があった。
父親が逮捕されたときに9歳、次は自分が殺されると思った義姉(当時17歳)が必死の思いで脱出して警察にいわなければ、この子も殺されていた(それまでにも殺そうとしたと実母=無期懲役が自白)。
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24歳になっている息子が、どういう気持で自らインタビューに応じたか、それまでの15年間をどうやって生きてきたか、今刑務所に面会に行く両親に対してどんな気持ちを持っているのか、、。
はじめは興味本位の事件ものかと思って放り出しそうになったが、読むに従い「彼」の苦しみ、それにどのように抗って正気を保ってきたかを知るに及び居ずまいを正す気持ちになった。
本当に申し訳ないっていうか、、、申し訳ない、しか出てこないですね。反対の立場やったらって考えると、、たぶん俺のことを殺したくなるんやないかなって思って。自分の大事な人がそういう目に遭い、(そこに加わっていた)息子が生きているんだとしたら。ぶつけようのない感情、行き場のない気持がどうしても出てくるんやないかなって思います。
9歳、言う事を聞かなければ通電されるという恐怖でマインドコントロールされて、やっていることの意味もわからないで事後の死体処理を手伝わされたことを、そういうのだ。
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(いつもの木、楽し気な親子の会話が心地よく聴こえた)
自分みたいな奴がこれからどうしていくんかってなったときに、もう生きて生きて、生き続けて、自分しかできんことを多くの人にしてあげる。そんな自分になっていくっていうのが、大げさですけど、生まれてきた意味じゃないんかなあって。
えらい!ほんとにえらい。
「加害者より辛い目に遭っている」”孤児”が、奇跡のような人に巡り合って救われた経験がそういう気持にならせたのか、それともとことん自分の「生まれてきた意味」を考えざるを得なかった15年がそこまでの覚悟を身につけさせたのか。
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親や身寄りがいないことのハンデイについて訊かれて
いないだけで、こんなになるんやって思いますね。こんなになるんやって。他の人たちには当たり前に親がいるってことがわかり、そこでまた違うんやなって思いました。結局、何をやっても、そういう壁に当たるんですよね。親がいないから、身寄りがないからって。どんだけ頑張っても、結局、またこれかと思って。携帯を持つのも、免許を取るのも、働くのも、家を借りるのも、何するにしてもこれだけ不便なんやって。そういうことにぶち当たるたびに自信をなくすんです。これって俺がどうこうって問題じゃないよね、と。
そして、ようやく今彼は
当たり前に帰れる家があって、当たり前にご飯が食べられて、当たり前に仕事ができて、当たり前に遊びに行ける、、、。そんな当たり前のことをやっと人並みにできるようになったんで、幸せだと思います。
と言える。
どうか、その心を持ち続けて長生きしてくれよ、「彼」。
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サンチも当たり前に床屋に行って当たり前に帰れる家があってよかったなあ。
仏壇の皆さんに「当たり前にご飯を食べさせてくれた」ことのお礼をねんごろにした。

角川書店


Commented by ikuohasegawa at 2018-10-12 17:18
そういう息子ではなくボーっと生きてきましたが、
「当たり前に帰れる家があって、当たり前にご飯が食べられて、当たり前に仕事ができて、当たり前に遊びに行ける、、、幸せだと思います。」
こういう気持ちはわかるようになりました。
Commented by saheizi-inokori at 2018-10-12 21:50
> ikuohasegawaさん、しみじみとね。
私もそうです。秋に寂しさを感じるのもほんとにしみじみと感じるようになったのと同じかな。
Commented by j-garden-hirasato at 2018-10-13 05:43
普通のことが普通にできない、
辛いことの連続だったでしょうね。
これからも、
がんばって生きてほしいです。
Commented by saheizi-inokori at 2018-10-13 05:47
> j-garden-hirasatoさん、9歳で救い出されるまで学校にも行かせて貰えず外の世界を知らなかったそうです。
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by saheizi-inokori | 2018-10-12 11:14 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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