玉城デニーがんばれ&小説「私の消滅」(中村文則)
2018年 10月 01日
テレビに映った当確の知らせを受ける瞬間の顔は、心なしか当惑したような緊張感があった。
これからの道のりの険しさを知ればこそだと思う。
元在沖米軍海兵隊員を父にもつ玉城が米軍に出ていけという、歴史は大きく動き始めるのだ。
彼のこれからの頑張りを遠くから支えるのは僕たち・やまとんちゅうの声だ。
このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない。中村文則「私の消滅」の冒頭の二行、さいごまで読んだけれどこの二行の与えるワクワク感を超えるものはなかった。
脳に蓄えられている記憶を消して、別の人間の記憶を入れ替えたら、私は誰になるのか。
精神科医が電気ショックや薬、催眠療法などを駆使して人の記憶を操作することで精神疾患を治療するのではなく「悪」の目的に使う、ミステリでもあり哲学小説。
そんなに深遠なことを言ってはいない。
入れ替わろうとする対象の人間が書いた手記と、入れ替わる主体の言葉と、読んでいるうちに誰が誰だか分からなくなる。
彼は宮崎は多重人格だったと推察する。
彼(宮崎)は2008年に死刑となっている。絞首刑で彼の首に縄が巻かれる時、彼は大人しかったと言われている。彼が幼女を殺害した瞬間の人格は彼の脳の中のどこかに消えており、実際に死刑を受けた時の彼は、つまり何もしなかった、見ていただけの人格だったともいえる。見ていただけの人格の状態で彼は死刑を受けている。社会からの要求であった死刑は、幼女を殺害した時の彼に刑を与えることができず、空白の状態であったただの無気力な男の首に縄をかけたことになる。
解離性同一性障害(多重人格)の原因の一つに性被害がある。解離性同一性障害の人間は、「怒り」の感情を別の人格(怒りそのもののような人格)に譲っているケースが多いとされている。(いじめにあった)彼には性的な被害や嫌がらせを受けた経験がとても高いと私は思っている。彼にいじめを行った者達は、今どのように暮らしているだろう。実際は些細なものだったいじめが、被害妄想的な彼の脳内で肥大化した可能性も高い。たとえば性器を蹴られた行為が、性器を笑われた行為が、彼の中で肥大化しー。こんな考察が小説のその後の展開とどんな関係を持っているのか、読んでいる時(今も)よくわからなかったが、スコット・トゥローの「極刑」や死刑囚・島秋人の歌などを読んでいたので印象に残っている。
そして彼は死刑になった。自分がやった本当の実感は何もないままに。
なんでも作るはあちゃん。
何でも作るはあちゃん、すごい。
この間は魚を開いていましたっけ?(うる覚えです。悪しからず…)
中村文則の小説を1ページで読むのを諦めて返却しました。
何という本だったか……題名も忘却の彼方へ飛んで行ってしまいました。
ここのところ人を殺した人や死刑にまつわる本を読んだり、舞台やドラマを観る機会が何故だか多く、そのお陰でこれは考え続けていないといけない問題だと思うようになりました。
なにかに関心を持つとそれに関連するものに出逢うことが多いでしょう?シンクロニシテイかと思うくらい。頭のアンテナがそつち方面に向くのでしょうね。
中村文則は「掏り(漢字)」だつたか、はわりと面白かったけど、これは独りよがりな感じを受けました。
そうなら殆どの人間はその「場所」を脳内に作りながら成長するんではないでしょうか? 子供の「お姫様ごっこ」「チャンバラ」「雲の上のお城」アニメ映画なんてのもそんな場所の延長でしたがー。
中井久夫の本も買ってあるのですがなかなか手がまわらいなあ。
お父さんに似たのですね。