コンプレックスが人を結びつける 河合隼雄「無意識の構造」
2018年 09月 27日
なんらかの感情によって結合されている心的内容(たとえば恐怖)の集まりが、無意識内に形成されているとき、それを「感情によって色づけされたコンプレックス」と、ユングは名づけたのである。これをのちには略して、コンプレックスと呼ぶようになった。それは身体組織の中に出来た癌のように、はびこりだすと意識の正常なはたらきを妨害するのである。図書館で借りた本を先に読まねばならぬから、とちゅうで休んでいる河合隼雄「無意識の構造」は、とても面白い。

だから、図書館からきた「私の消滅」(中村文則)という小説にしばし席を譲ってもいいと考えたのだ。

さっき、この小説の紹介を書いたがつまらない(いつにまして)文章だなあと、思ってヘキエキしていたら、写真を載せようとしてどこかに触ったらしく、全文消えてしまった。
つまらない文章をもう一度ポツリぽつりと(しょっちゅう間違えながら)入力し直すのはイヤだから、そっちはまた今度ということにして、今日は河合隼雄の上の続きでお茶を濁す。

なにかのコンプレックスを共有することによって、親密な人間関係ができたように感じることも多い。たとえば強い劣等感コンプレックスをもった人たちがなんらかの集団をつくるとき、その集団内にいる限り、自分のコンプレックスの存在によっておびやかされることがないので、非常に居心地がよく感じられる。このような点に無意識であればあるほど、その集団の結束力は強く、簡単には抜け出しがたい。ある個人が自分のコンプレックスの存在に気づき、それと対決し自覚にいたろうとするときは、その集団の成員と対決しなくてはならなくなる。どのような集団も背後のコンプレックスとは別に、たてまえの旗じるしをもっているので、コンプレックスの自覚は、他の成員から見ると旗じるしに対する反逆、ないし裏切りと見なされることが多い。このような中から抜け切って、コンプレックスの解消にいたろうとする人は、相当な孤独感におそわれることを覚悟しなくてはならない。

新しいやり方を考える力も実行力もない既得権に群がるヒラメたちの結束は劣等感コンプレックスだとさ。
そこを抜け出すのには裏切り者呼ばわりも甘受する覚悟が必要、○○、××、△△、、いろんなところに実例があるなあ。
日本は劣等感コンプレックスで結ばれた集団が支配・跋扈しているかのようだ。

小学校のいじめグループみたいな低劣幼稚!

非常に危険ですね。どうしたら自己価値を見出せるか
花や雄大な自然。憧れる心。このブログの教養に感応
する開放や自由は、自信の目覚めに与すると思います
既得権益を守るために群れることはしたくないですね。
自民党のことですね。
思い自分を対象に拝見していました
最後のところで あーこの人たちはそれで結束しているのかって
自分に向けられていた目線がそれて気が楽になりました