裁判員制度はファシズムを招来する 斎藤文男「ポピュリズムと司法の役割」
2018年 09月 19日
素人が人を裁くことができるのか、しかも死刑を含む重い刑事裁判を担当するというのだ。
嫌なことを義務付けられる(苦役)というのは憲法違反ではないか。
国民は裁判所の裁判を受ける権利があるという憲法に違反しないか。
そのほかいろいろ問題点を挙げた記憶がある。

だが、何より斎藤が裁判官制度の問題だとするのは、これが三権分立を侵し、このまま放置しておけばポピュリズムの横行する日本の政治がファシズムへと変質していくという点にあると警鐘を鳴らす。
民主主義はポピュリズムに陥りやすく、現に安倍のやり方は多分にポピュリズムを利用しているが、それが独裁へ暴走するのをチエックしブレーキをかけるのは独立した司法権の存在である。
司法は自由主義(国家権力から個人の自由を守る)にもとずく「法の支配」を基本とする点で民主主義の「多数の支配」とは異なるものだ。
しかるに「司法への国民参加」とか「司法の民主化」などといういい加減な謳い文句で導入された裁判員制度は、司法を「法の支配」から「多数の支配」に変えてしまう。
政治のポピュリズムを抑止するはずの司法をポピュリズム化してしまったのだ。
裁判員裁判が厳罰化の傾向が顕著で(検事の求刑より重い刑を科す)、裁判員裁判の量刑(死刑を含む)が上級審で覆されたりしている。
ファシズムのめざすのは権力分立と法の支配の廃止であって、独裁はその手段である。

さらに筆者は、日本の司法の官僚化を打破して「法の支配」の理念に忠実な裁判官を育てて、憲法違反の政府の行動・立法にノーをつきつけるためには、法曹の一元化が必要だという。

これに対して野党議員が内閣には臨時国会は20日以内に召集しなければならない法律上の義務があることの確認と損害賠償を求め国を提訴した。
けさの報道によると、第二回目の口頭弁論で、国は臨時国会をいつ開くかは統治行為であり司法の判断になじまないと主張したらしい。
これにどう答えるか、まさに法の支配に携わるものとしての任務を自覚した裁判官であるかどうかが問われる。
基本的なこと勉強不足の私なので何も言えないですが
70歳をこえ裁判員に選ばれなくて良かった とつくづく思います
自分の国の行く先 自分の国が生きやすい国になる為にって
小学校時代からいろんな形で考えさせ 問題提起をして
皆であーだこーだって意見を言い合ったりして
こういうことを身近に感じられたらいいなー なんてね
講義録は理解しやすいですからね。


こまったこっちゃ
神道、天道、人道による立道民主制こそが、司法をポピュリズム化しない道ではないでしょうか。