日本が退化している証拠
2018年 07月 17日
水が必要な時に出なくて不要な時に元気よく噴出したりする。
このマンションを作って売ってくれた人が一緒に住んでいるから、彼にその旨を話したら、なんと彼=一級建築士御自らウオシュレットの交換をしてくれた。
お陰で市価の半分以下で新しくなったのはありがたい。
「なあに、こんなのは簡単、すぐに交換できますよ」といったけれど、水道管に取り付けるところの部品のサイズがどうとやらで、狭い部屋で小一時間奮闘して「ああ、なんとかできました。大口叩いて笑われるかと冷や汗をかきました」、笑いやしないが、できなかったらどうしようと思い始めていたところだった。
イケヤなどの組み立て家具なんて聞いただけで怖気を震うブキッチョかつタンパラなのだ。
大学までは和式のポッチャン便所、足腰は鍛えられたかもしれないが、今は使用不能、便所がではなくて僕が。
去年くらいから、電気冷蔵庫(電気はよけいだった)、風呂釜、あちこちの電灯、、申し合わせたようにくたばり始めた。
はめ込み式の洗濯機が壊れると、サイズが合うものが売られてないそうで、これは売り主の設計ミスだから、ちょいとした工事が必要になるのが怖い。
道具・機械類はお金を出せば新しくなるけれど、そのお金を出す人間様は、お金を出すたびに心身にこたえて老化が進行著しい。
人間の部品取り換えができないから、間質性肺炎で「休業」している寿司屋、何の病気か分からないけれど、「しばらく休業」が二年以上続いている近くの銭湯。
日を追うにつれて喪失感が募る。
ああ、疲れた、ここはイッチョウ元気回復、というときの頼みの綱がこの二軒だった。
休日は「はじめ」が休みだし、遠くの銭湯に出かける元気がなくなっている。
ウオッシュレットも、スイッチ一つで湧く風呂も便利だけれど、行きつけの寿司屋、ゲタッパキで行ける銭湯が亡くなってきつつあるこの日本社会って、やっぱり劣化・退化しているとしかいえないな。
憂うべきは、その退化を便利という言葉に変換し、ほとんどの人が気づいてないって事 。
情の劣化においては語るべくもなく、、。
あたじけないです。
あのバブルワクワクのころがウソみたい
あのころもっと考えていたら
こんなにくたびれた国になっていないんじゃないかなんて
偉そうなこと思ったりします
便利性効率ばかり求めてきて文化や人情の退化でしょうか
>お金を出すたびに心身にこたえて老化が進行著しい。
それは大いにあり得ますね。
屋根の樋がかしいで、じゃじゃ漏れの音を聞くたびに暑い夏が終わったら全部取り替えなきゃと、何だか仰るようにさらに老化しそうです。