スイカを食べたい
2018年 06月 29日
せんじつモモさんがスイカのことを書いていた。
モモもスイカも好きなのに、自分が食べるために買ったことがない。
リンゴとかミカンは買うけれど、それは食料的感覚で買うような気がする。
モモやスイカは子供たちと食べるために買うものだった。
夏休みに山梨の祖母・叔母に会いに行くと、スイカ、モモ、葡萄、ソフトクリーム(甲府の岡島で)などを食べさせてくれた。
どれも今自分で買わないもの、ソフトクリームだけはこの間、眼科病院に入院中にカフェで食べたけれど。
お祖母ちゃんが、「さあ、スイカを食べようかね」と、いそいそとスイカを切ってくれるとお盆の上が赤と緑の三角形で一杯になった。
塩をふるのももどかしく、かぶりついてはプッと種をほきだし、夢中になって食いながら、弟の食いっぷりや残りの数をチエックしていた。
祖母もじつにうまそうに食べていた。
今思うと大人は自分が(も)食べたくてスイカやモモなど、ふだん自分のために買わないものを買うんじゃないかな。
我が家に孫たちが集まるときはケーキやメロン(到来物)だもんなア、スイカが食えない。
毎月一度、今月分はもう済んだかと思っていたらまだだった。
歌や句を楽しみにして下さる方が一人でもいらっしゃったと知って、僕はとても嬉しいのだが、祖母や母は驚き照れくさがるだろうな(ちょっとは嬉しいくせに)。
石を積む賽の河原の児の様なすぐせなりきと思ふ時あり「すぐせ」、すくせ=前世、ここは「過ぐ世」=過去の人生の意味だろうか。
子供に死なれ、夫に死なれ、、いろんな苦労が絶えなかった祖母。
でも、
おのづからほほえむ顔を何をさは喜びますと人の問ふなり遠縁の子が高校に合格したと聞くとこんな歌を詠んでいる。
和歌静寂を言ふたてまへのともがらが常に葛藤絶へぬとぞきくやさしくて、ちょっとシニカルなところもあって、食いしんぼなお祖母ちゃんだった。
梓川ひとりになれば菫草祖母に負けないくらい苦労の多かった母の胸中を、何の苦労もなかった幼き日々の面影が通り過ぎたか。
梅雨冷の鴉青めり井の頭死の床にあった亡妻を見舞ってくれた時の句かもしれない。
祖母にも母にも、亡妻にも苦労のかけっぱなしだった。
歳をとるほど強く思い 思っては謝り 想っては感謝して
自分の愚かさに情けなくなる
何度これを繰り返していることでしょう
でも自分の事でない たとえば
このsaheiziさんの記事を拝見すると
大丈夫よ お祖母さまもお母様もお亡くなりになった奥様も
誰一人苦労を掛けられたなんて思っていないですよ・・・・
それどころか
saheiziさんにきっと感謝しておられたと思えるのです
なんだか母の顔が浮かびその顔が笑っていてくれて
嬉しいような悲しいような・・・・・
せめてこの命大切にして行くことで恩返しになればと思います
それにつけても私の、あそこもここも具合が悪いの、なんとかならないかなあ。
スイカの思い出、情景が浮かびますね。
みんなでかぶりついてあっという間に皮だけになりましたよね。
今年の夏はまたその思い出を語りながらスイカを食べてください。
おばあさまの歌やお母さまの句を楽しみにしているヒトがいます。
それはワタクシです。
saheiziさんのあちこち不調、お見舞い申し上げます。
スイカ、今晩のデザートに食べました。
おいしかったです、うふふ。
蚊取り線香をつけていても蚊に刺されながら、ボリボリ痒い所を掻きながら食べました。
ずるい!
祖母の歌はまだ在庫がありますが、母の句はそろそろ少なくなってきました。
ずいぶん前から続けているカテゴリーでした。
私はスイカ一人でも食べますけどね
でも スイカって みんなでわいわい食べた方がより美味しいものだと思います
子供の頃の夏休みに、、 と言いたいところなんですが
私はイタリアに来るまでスイカが嫌いだったのです
だから父の田舎で出された時も食べなかった記憶があります
ところで スイカに塩かけるのは 日本だけです
それと私はスイカの種が大好きです
出さずにコリコリ食べます
ところで
パチンコ屋にこの行列
平和な国というか、どこかおかしい
近い未来
カジノで国の新たな金儲けの餌食になる人々ですね
お気の毒に。
今もスイカは好きですが、重いのが欠点ですね。他の商品と一緒に買って帰るのが面倒です。
それとは別にみんなでワイワイに似あう果物であることは間違いないですね。
スイカの種をコリコリ、こんどやってみようかな。
種なしスイカしか売ってないのかな。
母が好がきでした。
昔は相対的に高かったのでしようか。