俗っぽさが楽しい 花岡詠二プレゼンツ、スヰング・タイム
2018年 06月 18日
「栄光のスヰング王 ベニー・グッドマンに捧げる」とあって、第32回を数えるコンサートだ。
半蔵門線の住吉駅を降りたホーム、上るべき階段から始まって、ていねいに案内表示が整っている。
満員の会場をしめるのはほとんど老人、へえ、若い子たちにもスヰング(花岡表示にならってみた)が受け入れられるのかと、思っていたら、あとで女性グループがゲストで演奏したときに花束を贈呈していた。
「ハニーサックルローズ」で始まり、ベニー・グッドマンがライオネルハンプトンやジーンクルーパーたちとカーネギーホールで「その手はないよ」なんて、それまで馬鹿にされていたクラリネットを中心にしたスヰング、ジャズというと低く見られていたので何とか別の呼び方をして、世の中に踊りだして行った頃の「サヴォイでストンプ」などを花岡の軽妙なダジャレ交じりのトークでつないでいく。
僕より年上に見える隣りの老夫婦(だろうなあ)が「へえ~そうだったんだあ」などと相槌を打ったりする。
もっともハイカラ爺さん、とちゅうで席をたってトイレに行ったようだが。
ベニー・グッドマンの「ワン、ツー、ワンツー」、リズムを取っている録音を、その都度聞きながら演奏するベニ―・グッドマンの曲はほとんど知っている懐かしい曲ばかりだ。
なんといっても映画の「ベニ―グッドマン物語」が「グレン・ミラー物語」や「五つの銅貨」とともに、貧しい文化生活を過ごしていた中学生に、それまで聴いたことのない音楽の楽しさ、そういうものを創り出すアメリカ社会のサクセスストーリーに熱狂させた。
といっても何回も映画を見たわけじゃなくて、ラジオで彼らの曲がかかると耳を澄ませたというに過ぎないのではあるけれど。
ウエスタンのヘンリー矢板などゲストも大勢出場して、スヰングの幅の広さも聴かせ・見せてくれた。
「サンタルチア」「明日浜辺を」、北欧の民謡がアメリカに渡って聖歌になった「ともに歩む」だったか、ピーナッツ・ハッコー&鈴木章治とリズムエース以外の演奏にはダメ出し(和モノ的サウンドがないと)をする「鈴懸の径」、曲名はメモしなかったが、女性トランぺッターの二井田ひとみの迫力などなど、ベニーグッドマン以外の曲も楽しかった。
花岡が以前のコンサートでもやったことだが、聴衆のなかに著名人が来ていると言って、その名をあげると本人が立って会場に会釈する。
こういう俗っぽさがスヰングの楽しさなのかもしれない。
野菜サラダは「ドレッシングをかけずに塩を下さい」と言って、トマトは塩、玉ねぎはカウンターにおいてある醤油を軽く振って食べた。
思い出しました。いい映画でしたね。
紅善男とは守備範囲が広いですね。今でこそジャズはサックスが隆盛ですが、スイング時代はクラリネットの名手が活躍したんですよね。