ただ縁を信じ 曽野綾子「夫の後始末」
2018年 06月 12日
きつい「正論」を振りかざす人の考えをきいてみようと思った。
介護人は怠け者の方がいい。精神において,厳密の美に陶酔するより、怠けが好きという自覚があった方がいい。いいことをおっしゃるけれど、彼女の「怠け者」は彼女基準の怠け者だから、うっかり鵜呑みにはできない。
怠け者はそもそも働くのが嫌だから自分を追いつめないのである。まあ、こんなところでしょうがないよね、といつも自分と相手に言い聞かせてしまう。怠け者は自分の中の不完全性を許す世の中が、それでも何とか動いていくことの現実を知っている。だから思い上がったり追いつめられたりする気分にならないのである。
料理、掃除、洗濯、庭のことなど、なべて勤勉、ぼくは逆立ちしても真似ができないのだ。
しょっちゅう転んで青あざを作っている朱門は他人に「妻に殴られたんです」と真面目な顔をして言うのだ。
看護師に「ありが十」ではなく「ありが二十」などと深い感謝を示す朱門が死の一週間前には穏やかな顔で低い声で「ありが四十」といった由、義母もかならず「ありがとさん」といい、それを喜ぶ介護士もいたなあ。
朱門が倒れるはるか以前からお互いにどのように死んでいくのかについてじっくり話し合って来たらしい。
考えてみれば愛する人間同士の中心テーマはどう生きていくかであり、それはどう死んでいくかに繋がらざるをえない。
相互のまったき信頼と愛が後始末の極意だ。
夫を見る時、私は社会正義も平等も人道も感じていない。ただ縁を信じ、理由なく夫を見守るのは、国家でも社会でもなく、多分自分しかない、と感じているからなのだ。その納得がいつ迄続くかは問題としても、、、。自宅で夫を介護しようと決意したときの気持ち、「ただ縁を信じ、理由なく」という言葉はことの真実を言い当てている。
夫婦がカトリック信者であることも鍵かも知れない。
○点滴ないしは胃ろうによって延命することその三つをしないこと。
〇気管切開をすること
〇酸素吸入
彼女が中年の頃、日野原重明が曽野に教えた「人間の臨終を楽にする方法」。
僕もそう願おう。
精神論だけでなく具体的なノウハウ(曽野流)もある。
講談社
老人はあまり長生きすべきではないと曽野さんはいいます。そういいながら長生きですがね。
人間ドックだって、あと何十年生きられるかのモノサシじゃないですか。
佐平次さんに急に死なれたら困ります。
このブログ見てる人はみんなそう思ってますよ。絶対。
ありがたいじゃなくて、ありがくじらです。
この本を一度手にとってみたのですが、戻さないで連れてくればよかったよかった!と思いました。
曾野さんの日記を読んでこの人かなり勤勉な人だと思いました。
私も母と自宅で暮らしておりますが、一段落したら私はリビングに戻り別々に過ごします。
自分を解放しないと続かないんです。
ありがとさん・・・いい言葉。あのかわいいおばあちゃまがそう言ったら、介護の人たちも顔がほころんだでしょうね。
感謝って大事ですね。
母も私に一日何度もありがとうを言います。それが私の活力になっているのかもな~。
世の中のためになることをする、自分の好きなことをする、の二つを抑えたのは「ありがとう」といわれることが何かに繋がるのじゃないか、と一緒に見ていた人と話しました。
、「50」か「100」まで頑張れるかな、、 何でも限度があるかもしれません。 私には大原麗子の生き方に感動しました。
病状が可也進行しているのに「さんま」のTVに出て笑いを取り
一人静かに、、 生き方より逝き方の方が難しいですね、、
人間ドックやめる。のsaheiziさんの意見に座布団100枚!
あれだって、被曝しますでしょ?
そして廃棄物出ます 苦笑
私は歯医者でもレントゲン断ります
扱いにくい患者です
でも、最後の3項目は大賛成です。
最近、高齢者用の介護付き施設などを
ついついネットで調べてしまいます。
もちろん、自分の為にです。
義母を見送った後、夫より長生きしてしまった時、
または、夫の世話が出来ないくらい弱ってしまった時、
子どもと離れて暮らすのが夢、なのですが、その為には
どれ程の準備が必要なのか…どんな施設があるのか…
などと、夜な夜な検索三昧です。
私は亡母と暮らしましたが、母は別の考えがあったのかもしれないです。
薬は毒だと思ってるし、医者は鼻から信用してませんから
行かなきゃそれで済むもんです 笑
けど、こっちはその氣でもあっちがなぁ〜