慰め
2018年 05月 15日
水道橋駅に集まってお寺まで歩いて線香をあげるのだが、ことしはそのメンバーがひとりいないと思ったら、亡くなって一昨日通夜だったという、なんとまあ。
カードを差し込むと現れる墓標に手を合わせる。
そのあとは、恒例で八重洲の小さな座敷に移動、9人の飲み会。
僕はぜんいん一年に一度の再会だ。
いつもの男がいつものオジサンジョークを発して、いつものように近況報告やら共通の知人の消息を尋ねたりしたあとは、やはり三十年前の「我らが戦い」の思い出噺。
齢を重ねるほど、省みて、いったい俺の人生とはなんだったのか、あんなにわあわあきゃあきゃあ喚き怒り、歯を食いしばって、自己犠牲を払ってまで戦うほどの何があったのか、と空しさを感じることが多くなっている。
それはそれで、むしろ老人のかち得た諦念・勲章なのかもしれない、とも思いなしているけれど、若い人たちから、あの頃の僕の働きを積極的に評価して(やや、オーバーに)くれると、俺の人生、まったく無駄ということでもなかったと悪い気はしない。
やっぱり悟っちゃいないってこと。
B君の病気という取り返しのつかない代償を払って得たものが現役諸君の支えになっている、あのとき上・権力者たちの気持ち・意向・指示を素直に受け入れて、はい分かりましたとやってたら現在の会社にはなっていない。
これも毎年のキマリみたいに、B君と仲のよかったS君の「Bさんは佐平次さんを尊敬していた」というお世辞ないしは慰めの言葉が、自分がパワハラ・ブラックだったのではないかという不安・疑いの念を少しだけ軽くしてくれる。
また来年、生きていたらね、とこれもお決まりのセリフが今年は真実の苦みを増した。
やれやれ。
クジラのカツ、沖縄の28茶、ソンバーユなどを買ってしまった。