号泣している
2018年 05月 13日
書名と同名の小文に続いて、そこに書くには大きすぎる存在であった人たちが、一人一人フォ―カスされて描かれる。
内藤鳴雪、愚庵、陸羯南、夏目漱石、五百木瓢亭。
生き生きと綴られる志ある若者(陸はやや先輩)たちの魂の交友は、たんに思いやりに満ちているだけではなく、こと文学の話になるとお互いに歯に衣着せず、とことん批判しあう、真剣なものだった。
芭蕉を離れ、三代集を否定し、俳句・和歌の改革、修辞・形の上の雅俗ではなく心の雅俗こそが詩歌の値打ちだ。
漱石との書簡のやりとり、とくに
僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヤウナ次第ダ。で始まる、ロンドンの漱石に送った居士最後の手紙、その前年に書かれた長文の手紙では、「単なる愚痴だからまともに受け取らぬように、人に見せても二度読まれても困る」と前置きして、涙が出る実例をいくつもあげて、君と向かい合っているときに君が親切なことを言っても「うん」というくらいで泣きもしないが、
ケレドモ手紙デソーイフコトヲイハレルト少シ涙グムネ。ソレモ手紙ヲ見テスグ涙モ出ヤウトモセヌ。只夜ヒトリ寝テヰルトキニフトソレヲ考ヘ出スト泣クコトガアル、、。などと書いている。
居士の漱石に寄せる信頼・ある種の甘え、あれほど子規思いの人々に囲まれていてもなお、孤独に早すぎる長逝の・苦しみに満ちた日々を送った若者・子規が思われて胸がつまってくる。
落語派と義太夫派があって、漱石と居士が落語派であったことも二人を親しくさせた一因であった、居士が友人から教わった易占いで、驚くほど正確に漱石の前途を占ったこと、学生時代に二人で京都に遊んだ時、遊郭のなかを歩いて漱石はそれを知らず、両側から差し伸べられる女郎の手の届かない真ん中を綱渡りのように歩いたこと、松山の漱石の座敷の一階に二か月居候した居士はしょっちゅう勝手に鰻を取り寄せて一人で食い、勘定を払わぬどころか借金をして帰京した、、さまざまなエピソードが、僕の学生時代を思い出させもし、その怠惰に流れていたことを今更ながら反省させられもする。
授業に出なかったところだけ子規に似ているけれど。
ふだん行くような煙もうもう、大声がとびかうような焼き鳥やとちょいと違う個室で焼き鳥を食った。
冷や、芋焼酎(ロック)、熱燗、ビール、ワイン(少々)といろいろ飲んだのは、どうも口中不具合で味覚が定まらなかったから。
ここまで読んだだけで涙が滲んできます。
フフフ、僕がイメージしている佐平次さんとは違うなあ (笑)
澤藤さんのブログで鴎外の「空車」を読んで鴎外の複雑さに思いをいたしています。
焼き鳥屋、焼き肉屋、お好み焼き屋には
自ら進んでは行きませんが、
最近は、煙がほとんど気にならないように、
装置が進歩してきましたね。
居酒屋の個室も増えました。
鴎外全集、漱石全集が宝の持ち腐れ、命短し恋せよ全集です。
「子規居士の周囲」に漱石が居士に書いた手紙、「鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き申訳も無之、是も少子嗜好の下等なる故、、」と前置きして、結局鴎外を「一種沈鬱奇雅の特色ある様に思はれ候」とほめているのが紹介されています。
新しい日本語の文体をどうしようかと苦心していたさまも窺われます。
味が定まらないなんて・・・代わってあげたい気分です笑