臆病者
2018年 04月 23日
小さなテントを張ってピクニックをしているのがままごとのようで微笑ましい。
カミさんもネットで見ただけ、一緒に行こうと言ったが衣替えで忙しい。
薄暗い店の中に入ると、使われていそうにないジュークボックスがあって、奥に進むと広めの部屋、壁には大きなモダンな絵が何枚か飾られて、テーブル席と窓に面したカウンタ―席がある。
さらに奥、中二階もある。
カフェオレを飲み、西部の「保守の真髄」を読む。
経世財民を忘れた現在の経済学の根本の考え方を批判する。
万事がコスト・ベネフイット(費用対便益)という「形と量」の次元に押しつぶされてしまっている。そこでは形式と数量の次元を滑走するのが一種の精神病理だということすら無視されている。
吝嗇や貪欲があたかも徳目であるかのように喧伝している経済学というものの罪深さ。
そこでは消費者にあっては効用最大化そして生産者にあっては利潤最大化というものが、しかも実際にはごく短期間の視野における効用や利潤を求めるのが、あたかも普遍の真理であるかのように強調されている。
インフラストラクチャ―(下部構造)がなければ市場をエスタブリッシュ(設立)することが叶わぬのである。たとえば人々の往来や物資の運搬を可能にする輸送機関、人々のあいだの交渉を可能にする道徳や教育、未来の展望を多少でも確実なものにする知恵ある政治、そして人々のあいだに信頼をもたらす共有の価値観などがなければ、そもそも自由な交換が、いわんや公正な取引が、順調に進むわけもない。
極私的にはガンデイの「非暴力不服従」を心の深奥に抱き続けてきたという術者の核武装必要論のひとつの理由は「アメリカから実質的に独立するためには個別的自衛権を強めるほかない」ということである。
核の利用は文明の歴史においてイリヴァーシブル(不可逆)だと見定めるほかないのではないか、という。
世界情勢が破局に向かって歩を進めているとみざるを得ない今、反核の美辞麗句を連ねるのはまったく「臆病者・卑怯者の言動」だ、と。
日本を始点にして東南アジア一帯に至る「非核エリア」の形成を唱える者も少なくないが、そんなエリアはいずれ米中両大国の政治と経済の両面での「草刈り場」と化すに違いない、とも。
キヴィタス(都市住民にふさわしい公共心を持った人)に満ちたシヴィリアン・コントロールを施す政治家がいなければ軍隊の暴走する危険が常にある。その意味でも良き保守思想の発達した国家でなければ、良き軍隊をもつことはできないのである。と断じる。
西部の言うところの結論だけを要すれば、今の日本は自律した国家にもあらず、軍隊を持つ資格ももたない、ということになる。
BGMの演奏者の名前を教えてもらう、アートバンダム。
八雲まで歩いて、バスストップの前にある「八雲蒸しパン」でヨモギパンを買って、今朝半分こして食べたらうまい、”臆病者”の贅沢。
saheiziさんでさえですのに、其処から私全然ついて行けません
心に風が通り抜けるようなカフェいいですね。ヨモギパン羨望!
こんな場所にカフェがあるとは思えません。
私は「臆病者・卑怯者」で構わないもん! 美辞麗句と言われようと反核を訴えたいです(*_*
臆病者、卑怯者と言われてもいいから、終末に向かう世界で最後まで殺し合いは悪だという姿勢でいたいと私は思います。
もう元には戻れないのだからと世界中が核武装して、次は核よりもっと脅威的な武器の開発をしてそれもいずれ非可逆となり、そう遅くない時期に地球が壊滅する図が頭に浮かびます。
>人々のあいだに信頼をもたらす共有の価値観
これを見つけるのは難事ですが、たしかに大切ですね。
落語を聴くのもそこに通じている気がしてきました。
落語で平和を!