色好み
2018年 04月 21日
いわゆるチエーン店はなさそうだし、ちょくちょく世界旅行に来よう。
不親切というのじゃないけれど、ほとんど心の通わない若い女性技師、僕は出来るだけちょっとしたジョークを飛ばして自分も相手も和ませようとするが、ほとんど厚い壁に跳ね返って「はい、荷物をもってこちらへ」と連れまわされた。
まあ、寄席に来たわけじゃない、検査さえちゃんとやってくれればいいんだけどね。
ペースメーカーの電池が切れそうになって入れ替えの手術をした時に、たまたま、看護師学校を卒業したての女性が手伝いについてくれた。
入浴禁止で、ベッドでの清拭でしのいでいたが、とくべつに足を洗ってあげるといって、洗面所に連れて行って、バケツに温かい湯を注いで、「これ、お家から持ってきました、どれがいいですか」と入浴剤を何種類かみせてくれた。
じわ~っと足から身体全体、心まで緩むようで気持ちがよかった。
ときどき、あの子はどうしてるだろう、と思う。
と、いいながら、やはりそういう人の記憶もやがて薄まり消えていく。
「ただ一度だけの人の同窓会」でもやって記憶の再生強化をはからないといけないな。
帰りに等々力のいつものカフエで、カフェオレを飲みながら、杉本秀太郎の『徒然草』を読んだ。
そして
色好みということを主題のひとつとして提示することがなかったら、『徒然草』は「玉の巵の当なき心地」のする随筆集になっただろう。と、書いている。
兼好の考える色好みについて、「もののあはれ」との関連などを軽妙かつ滋味掬すべき文章で説きあかすなかで、第三十二段に兼好が女が男を見送る姿を盗みみるくだりにふれて、
盗み見のひそかな快楽を自分から簡単に手放すような色好みがあるだろうか。頃は大正十三年、ウィ-ンの寒夜、路上の男女の接吻を盗み見しつづけた斎藤茂吉という歌よみ、頃はたしか昭和五十四年、東京の夏の夜、アパートの窓に食らい付き、盗み見していてつかまった寺山修司という歌よみ、いずれの例も兼好の末につながるれっきとした色好みにちがいない。と、書いている。
福田の如きは、不ケンコーな色好みというべきか。
「色好み」どきっとしましたよ ははは
日本語の妙ね
色とエロいのエロでは大きな違いがある
、、いますね、そう言う人
何年も同じところで時間を過ごした人よりも懐かしかったりする
、、きっとそういうやさしい女性は、間違いなくしあわせな暮らしをしているに決まっています 笑
チラシ、すっごく美味しそうですね
お刺身の切り方が厚くて いい。
自由が丘デパートか、、最近行ってませんよ
次回行ってみようかな
ああ、、行きたいところが多過ぎます
主に、と言うかほとんど食絡みだから
食べたいものが多過ぎるのよね
それも何度でも、、だから 困ります 涎笑
自由が丘デパートの夜編もいいですね。
白内障手術のレンズはどんなのになさいますか。
私は「大地震でメガネを失っても、あまり困らないレンズ」をと言ったら40センチに焦点の合うレンズになって、ipadいじる時メガネは不要です。外歩きにも困らない見え方です。世の中明るくなりました。
足湯を用意してくれた若いお嬢さん、さぞ立派な看護師になっておられるでしょうね。もっとも看護師に向いてる人ですね。
若々しいバックボーンは羨ましい限り。
腰痛が一過性で何よりでした。
私は来週診察。また長時間待ちますね、きっと。ミステリー抱えていかなくちゃ。
私の行った日は休診日で、手術前の検査だけでしたから空いていたので下手なジョークを飛ばしもしましたが、普段はそんな雰囲気ではないです。
まあ、それだけにちょっとクスグッテみたい気にもなるのですが。
下手なジョークなどに気をとられずちゃんと検査してくれた方がいいのですがね、ついつい。