「徒然草」仲間外れの文学!とあらば読まねばなるまい
2018年 04月 17日
このような多面性を同時に一冊の小著に要約した例は、『徒然草』以前になく、おそらく以後にも稀であろう。『徒然草』が独創的なのは、「心にうつりゆく事」のすべてを次々に記録したという一事である(したがって今日の少年少女の教育に、『徒然草』の断片のいくつかを取って、教科書として用いるのは、少なくとも『徒然草』の独創性、-たとえばジェイムス・ジョイスが小説技法として「意識の流れ」の描写を発明するはるか以前の兼好の独創性を、あきらかにするものではない)。僕の「少年時代」というのが中学だったか高校だったか、定かではないが、たしかに『徒然草』の冒頭
つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれと、あとは何だったか、いくつかの断片を読んでお終いだった。
その後、いろんなところで『徒然草』の断片を読むことはあっても、『徒然草』そのものを通読していない。
兼好の独創性を知るために、ぜひ通読をしなければなるまい。
心情に寄りそって文を進めるのではなく、客観的な対象をも主観的な心情をも突き放して見るのが、『徒然草』の文章作法だと思える。思考の軽やかさは心情にこだわることとは対極に位置する精神の姿勢なのだ。と。
心情を拒否するのではなく、心情と距離を取って見つめるのが『徒然草』の思考の流儀だ。
求道者たり得ず求道者たろうとしない兼好の無常観は、月や花への思いや祭りの移りゆきなど、世の中のもろもろをはかないもの、むなしいものととらえるがゆえに、そのはかないもの、むなしいものにしっかりと目を据え、細かく観察し、そこに独自の価値と意味を見つけ出していく。
内省と明察に長けた遁世者が、世間から身を退くことでかえって世俗への知的な関心をそそられ、その知的関心がものを書く尽きぬ喜びと結びつくことによって、これまでに類のない孤独な思索の書『徒然草』が生まれたのだった。
貴族と禅僧という集団から仲間外れにされた者の文学が『徒然草』だと加藤はいう。
兼好にとっての究極の現実は、「よしなし事」のあらわれては消える心である。それぞれあらわれたときに独立していて、相互に関連のない思いの連続。その連鎖に超越する仏がなければ、実体化された「心」もないだろう。まさに「我等がこゝろに念々のほしきまゝに来りうかぶも、心といふものゝなきにやあらん」(235)である。これは日常的此岸性の内面化にほかならない。兼好は、たったひとりで、日本の土着世界観を内面化しようとしていたのである。(略)いよいよもって通読をせねばならない。
過去は水に流し、未来はこれを憂えない。そういう時間の流れのなかで、14・5世紀の日本人は生きていた。そういう時間の文学的表現が連歌であり、「徒然草』であったろう。『徒然草』とは、散文化された連歌である。
あと、歩きすぎの場合も。お風呂であったまっているでしょうが、歩いたあとは、よーくストレッチを。
お酒をお菓子をほどほどに・・お医者さんの指示も守りましょうね、ウフフ。
私も読んでみたいです! 不思議なスケールを持つ人ですね
4日程 Assisiを訪れてました。富裕階級の聖フランシスコが
24歳の時「政治の腐敗,社会,教会」を建て直せの神の声で使命に
目覚め44歳までの生涯を働いた基。日本にも高い志の政治家を
リーダーを与えよと祈りながら 緑の丘や聖堂を回りましたよ。
さっそく引っ張り出しましたよ^^。
またぞろ、半ばで止まっている日本精神史を取り出しました。
漢方も難しいです。
敷地には入れないんでしょうね。
ポカリスエットとクリニックの出してくれたビタミンEをのんでこのところは症状がおさまつていますが、、出ると痛いのなんの。
桜がきれいだけど敷地には入れない、手続きすればなんとかなるのかなあ。