男、だなあ エルモア・レナード「オンブレ」
2018年 03月 28日
たった二泊の旅行でも、支度が大変だ。
着替えも寒暖の差に合わせてよけいに用意する。
薬など身の回りのケアのためのいろいろの多いこと。
これもまた、出して、しまって、しまって、出して。
一緒に行った娘さんは一泊とはいえ、普通のトートバックひとつで颯爽と現れた。
僕だってナップサック一丁肩に出歩いた頃もあったのに。
カンシャクを起こしてミニ家出をしようと思っても、さあ、バッグ(ガラガラ)だ、靴下を、パンツを、歯磨きに、薬、、目薬を忘れずに、スマホの充電器に、、なんてやっていると、なんで腹をたてていたのか忘れてしまう。
疲れて帰ってきたときは、うんざりだ。
性分ゆえ、コートを脱ぐや否やスーツケースを開いて、これはゴミ、こっちは洗濯物、タンスにしまうもの、あ、お土産も買ったぞ、着なかった衣類、傘、薬や歯磨きの類もみんなそれぞれの場所にお戻り願って、、洗濯機が廻りだすまで小一時間立ちっぱなしだ。
坐って休んじゃうとやる気が失せるし、そのままにしてあると休んだ気にならない。
子供の頃に、メキシコの村からアパッチに連れ去られ、アパッチとして育てられた。
やがて白人に保護され馬車隊の仕事を手伝うようになり、その白人が亡くなってコンテンションの土地が遺贈された。
そこにマッド・ワゴン(荒れ地や砂漠を走らせるスプリングもほとんどついていない、壁のない馬車)に乗って行く途中で起きた懐かしの西部劇だ。
翻訳者の村上春樹は、学生時代にこの小説の映画化された、ポール・ニューマン主演の「太陽の中の対決」(1967)を見たという。
村上があとがきに書いている。
ポール・ニューマンは、淡いブルーの瞳からしてまさにはまり役だったし、(監督マーティン・リット、わき役など)まさにベストメンバーを揃えたチームといっていいのだが、後年原作を読んでから再見すると物足りなく感じた。曲がったことはしないし、自分(およびその仲間や保護下にある者)を守るためにはスーパーマンだが、無関係の者たちの運命(たとえ死ぬことになっても)には無関心であるような、無口なオンブレ。
その理由は、原作に登場するマクラレン嬢、インデイアンに攫われて凌辱・虐待されたであろう若い美人という設定がなくなっていたことにある。
対するマクラレンは、その者が助ける価値があるかどうかにかかわらず、「彼が助けを必要としている」ということだけで、危険を顧みず助けようとする、やはり無口な女だ。
なるほど、彼女を欠いたオンブレの物語は単なる活劇ものでしかないようだ。
昼は熱地獄、夜は凍えそうな過酷な旅をする連中が僕の旅支度を見たら、宇宙人かと思うかもしれない。
併載の「三時十分発ユマ行き」は、ラッセル・クロウ主演「3時10分、決断のとき」として、僕には珍しくテレビで見たのを覚えている。
村上春樹 訳
新潮文庫
私はダメ人間だな~、、、
旅行から帰ると洗濯物だけはやるけれど、
その他は翌日まわしで寝ちゃう(^^;
『寿限無』「こぶがひっこんじゃった」を思いました。
旅へ出るフットワークの軽さ(必ずしもそうではないんでしょうが)は素晴らしいですね。思えば、移動する存在である人間にとって、旅とのスタンスの取り方は人生の大きな要素です。