会津坂下は遠くて近い
2018年 03月 27日
会津の二日目は会津坂下に行った。
50年前に一年間働いた土地だ。
最初は単身で赴任、途中から生まれたばかりの長男を育てた(主として亡妻が)、「喜びも悲しみも幾年月」の「喜び」の多かった土地だ。
とはいえ、コークスを使う共同風呂の炊きつけ当番を二日に一度やり(火がつかなくて半ベソをかいたり)、雪かきや庭の作物(人参など)の世話をしながら赤んぼを育てる妻には苦しみがあったかもしれない。
困ったときにいろいろ助けてくれたのが今回お会いした方の一家(とくに亡くなった奥さん)だった。
僕は単身でいる間、三日とあけずに家にお邪魔して延々と酒を飲んだ。
亡妻が元気だった頃は娘さんがよく遊びに来てくれたり、家族ぐるみの交友が続いていたのに、奥さんが50歳で亡くなり、同じ年で妻が亡くなり、、無沙汰が続いた。
つくづく忘恩の徒たる我が身を悔む。
会津只見線が7時台のあとは午後まで一本も走らないのでバスに乗って小一時間、坂下橋本というバス停で降りて、会津坂下駅の方まで歩いてみた。
「町民体育館」、あの頃の建物だ。
なかに入って事務所の人に尋ねてみると、「んだなあ、50年ほど前に建ったんで、、」やはり間違いはない、今は使用禁止になっているという。
赴任してすぐの休日にここに来たらママさんバレーボールの試合をしていた。
懐かしいので見せてもらえないかと頼んで、狭くて急な階段を上る。
ああ、これだ、誰もいない体育館をみていると、「そ~れ~っ!ワンツーラスト~ッ!」若い歓声が聞こえるようだ。
掃除などをしているオバサンと五分ほど立ち話をする。
今年の2月の吹雪で閉鎖になった、、それで私も一時間早く引き上げてます、と笑う。
風雪に耐えた建物とオバサン。
体育館に隣接する小学校のグランド、あの娘さんがマーチの先頭で指揮棒を上げ下げしているのを誇らしく見たのをよく覚えている。
下の坊や(昨日迎えに来てくれた)が、「おじちゃん、あそぼ」とやって来て、竹ひごで凧を作ってあげたのもこの校庭だ。
旧町内を一本の道が通じていて、これが冬の観光行事の初市大俵引きの会場にもなったように記憶しているが、今はがらんとして広々と見えてしまう。
「飛露喜」で有名な広木酒造とか 八二醸造の建物、由緒ありげなお寺など眺めるともう行くところがない。
上りの列車も二時近くまでないので、バス、それも二時間近く待たねばならない。
ガラガラをひきづっているし、早昼にしようと「町おこしなんたら」というところで、いかにも坂下娘に教わった「いしやま」食堂に入る。
創業60年というのに僕には覚えがない店で、名物だという「冷やしラーメン」を食べる。
テレビの取材があった時の写真などが貼ってあるけれど、僕はスープを煮ているらしい石油ストーブの赤い火が懐かしい。
滋味キクスべきラーメンを食いながら店主と50年前のことなどの話をする。
はじめ無愛想に見えたけれど、話好きで、「坂下の馬刺しが有名になったのは、力道山が会津に興行できたときに馬肉は生でも食えることを教えたのがきっかけだ」というエピソードを教えてくれた。
店内の暖簾をみながら坂下の方言を口にしたら、奥さんも嬉しそうに笑ってくれた。
「よーうふくや」というのは方言ではねえべと思う。
やっとバスに乗ると、花粉症が猛烈に祟り始めて眼が痒くて痒くて、そのうちに鼻水もひっきりなし、せっかくの磐梯山を鑑賞するゆとりがない。
若松から列車で郡山に向かう途中の鼻水との壮絶な戦いに疲れたこともあり、二泊するかもしれないと言っておいたから急に帰ったらカミさんが(晩飯の支度に)慌てるかもしれないとも思い、直帰をあきらめて郡山の駅前の草臥れたホテルに部屋をとった。
とても街を歩く元気など出てこないと思ったが、夕食なしの部屋だから、なにか食ってこなくちゃと、ホテル隣接のコンビニでマスクとテイッシュを補充するうちに、不思議や、症状が治まった。
去年だったか雪を見るために来たときに呑んだ店の近くに面白そうな店を見つけた。
開業4年という若い大将は、昨日(日曜日)浅草のイタリアンの店を勉強に行ってきたとか愛想よく話をしてくれる。
(左上・ホタルイカは二軒目のお通し)
味もまずまず、久しぶりにサーロインステーキなどを奮発して豊かな気分。
満腹したが、8時前、すぐ寝るには早すぎるので前回寄った「おばちゃんの店」というのに顔を出す。
前回もすぐに帰ったから顔を覚えてはいなかったが、先客のオバサンが方言でいろいろ話すのを肴に一本だけ飲んで帰る。
50年前に一年間働いた土地だ。
最初は単身で赴任、途中から生まれたばかりの長男を育てた(主として亡妻が)、「喜びも悲しみも幾年月」の「喜び」の多かった土地だ。
とはいえ、コークスを使う共同風呂の炊きつけ当番を二日に一度やり(火がつかなくて半ベソをかいたり)、雪かきや庭の作物(人参など)の世話をしながら赤んぼを育てる妻には苦しみがあったかもしれない。
困ったときにいろいろ助けてくれたのが今回お会いした方の一家(とくに亡くなった奥さん)だった。
僕は単身でいる間、三日とあけずに家にお邪魔して延々と酒を飲んだ。
亡妻が元気だった頃は娘さんがよく遊びに来てくれたり、家族ぐるみの交友が続いていたのに、奥さんが50歳で亡くなり、同じ年で妻が亡くなり、、無沙汰が続いた。
つくづく忘恩の徒たる我が身を悔む。
「町民体育館」、あの頃の建物だ。
なかに入って事務所の人に尋ねてみると、「んだなあ、50年ほど前に建ったんで、、」やはり間違いはない、今は使用禁止になっているという。
赴任してすぐの休日にここに来たらママさんバレーボールの試合をしていた。
懐かしいので見せてもらえないかと頼んで、狭くて急な階段を上る。
今年の2月の吹雪で閉鎖になった、、それで私も一時間早く引き上げてます、と笑う。
風雪に耐えた建物とオバサン。
体育館に隣接する小学校のグランド、あの娘さんがマーチの先頭で指揮棒を上げ下げしているのを誇らしく見たのをよく覚えている。
下の坊や(昨日迎えに来てくれた)が、「おじちゃん、あそぼ」とやって来て、竹ひごで凧を作ってあげたのもこの校庭だ。
上りの列車も二時近くまでないので、バス、それも二時間近く待たねばならない。
ガラガラをひきづっているし、早昼にしようと「町おこしなんたら」というところで、いかにも坂下娘に教わった「いしやま」食堂に入る。
滋味キクスべきラーメンを食いながら店主と50年前のことなどの話をする。
はじめ無愛想に見えたけれど、話好きで、「坂下の馬刺しが有名になったのは、力道山が会津に興行できたときに馬肉は生でも食えることを教えたのがきっかけだ」というエピソードを教えてくれた。
やっとバスに乗ると、花粉症が猛烈に祟り始めて眼が痒くて痒くて、そのうちに鼻水もひっきりなし、せっかくの磐梯山を鑑賞するゆとりがない。
とても街を歩く元気など出てこないと思ったが、夕食なしの部屋だから、なにか食ってこなくちゃと、ホテル隣接のコンビニでマスクとテイッシュを補充するうちに、不思議や、症状が治まった。
去年だったか雪を見るために来たときに呑んだ店の近くに面白そうな店を見つけた。
開業4年という若い大将は、昨日(日曜日)浅草のイタリアンの店を勉強に行ってきたとか愛想よく話をしてくれる。
味もまずまず、久しぶりにサーロインステーキなどを奮発して豊かな気分。
満腹したが、8時前、すぐ寝るには早すぎるので前回寄った「おばちゃんの店」というのに顔を出す。
前回もすぐに帰ったから顔を覚えてはいなかったが、先客のオバサンが方言でいろいろ話すのを肴に一本だけ飲んで帰る。
だどもオラハ佐川ってのはかわいそうだと思うよ今日帰りのバスの中で聴いた中継では、予想通り「刑事被告人として、、」の連発だったなあ。
んでも大きいものには巻かれるっぺ
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fukuoka
at 2018-03-27 16:56
x
会津の旅行楽しそうですね。
0
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ikuohasegawa at 2018-03-27 17:18
佐川、逃げ切られましたね。
野党の質問もたるい、と思います。
野党の質問もたるい、と思います。
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haru_rara at 2018-03-27 18:50
たぶん、ここにおいでになる方々は「さかした」と読まれるでしょうね。
皆さ~ん、「バンゲ」ですよ~^^
スーパーでの買物も美容院も、帰省の切符を買うのも坂下です。
ほんとに近くまでお越しになったんだなあと思うと不思議。
懐かしい場所にいらっしゃれてよかったですね。
皆さ~ん、「バンゲ」ですよ~^^
スーパーでの買物も美容院も、帰省の切符を買うのも坂下です。
ほんとに近くまでお越しになったんだなあと思うと不思議。
懐かしい場所にいらっしゃれてよかったですね。
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saheizi-inokori at 2018-03-27 19:08
> fukuokaさん、楽しくもあり、ほろ苦さもあり、でした。
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saheizi-inokori at 2018-03-27 19:11
> ikuohasegawaさん、刑事訴追を盾にとる戦術は予想できたわけですし、一人一人の質問時間が少ないのですから、連携するなどもっと緻密な戦術が必要ですね。
小池や宮本もいいところまで追い込んで時間切れになっているのですから。
小池や宮本もいいところまで追い込んで時間切れになっているのですから。
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saheizi-inokori at 2018-03-27 19:14
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saheizi-inokori at 2018-03-28 01:36
佐平次ファンさん、コメントありがとう。
懐かしくもほろ苦い思い出の日々です。
懐かしくもほろ苦い思い出の日々です。
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そらぽん
at 2018-03-28 04:40
x
昨日、東京に勉強に行ってきたばかりの若い大将
shaeiziさんのご来店は料理に力が入ったでしょうね
「残念だがやはり佐川氏は佐川氏。前川氏にはなれなかった」
若い辰巳コータローがこうTwitterで呟いていて
国会での愚かな若い議員を見せられた後で
少し救われる気がしました
shaeiziさんのご来店は料理に力が入ったでしょうね
「残念だがやはり佐川氏は佐川氏。前川氏にはなれなかった」
若い辰巳コータローがこうTwitterで呟いていて
国会での愚かな若い議員を見せられた後で
少し救われる気がしました
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j-garden-hirasato at 2018-03-28 05:51
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saheizi-inokori at 2018-03-28 10:57
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saheizi-inokori at 2018-03-28 10:59
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sheri-sheri at 2018-03-29 21:53
行ったこともないのに、佐平次さんの旅の記録に一緒にその土地に迷い込んだような感覚に。人間味溢れる温かいお気持ちが伝わります。
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saheizi-inokori at 2018-03-30 09:33
> sheri-sheriさん、その土地に行くと積もっていた表土が除去されるようにして、当時のいろんなことが思い出されます。
by saheizi-inokori
| 2018-03-27 15:30
| こんなところがあったよ
|
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Comments(13)