サザエさん一家のようだった
2018年 03月 10日
新聞は夜来の雨を警戒して濡れ防止、東京新聞は丁寧に二重に包んでいる。
冬は手がかじかんでいるからただでさえ大変なのだが、登校時間までに帰宅してご飯を食べなければならないので、焦って引っ張り出すと、無情にも破れてしまう。
ひどい場合は弁償して配り直し(それは店の人がやってくれたように記憶する)。
新聞紙が包装紙だったあの頃。
仕事に張り合いもあり、ひたすら深夜の帰還が続いた働き盛りだったが、一家そろっての晩御飯を食べる休日がどんなに楽しみだったか。
そんな家族団らんに惹かれてお互いに訪ねたり訪ねられたりしたのだ。
まるでサザエさん一家みたいだったね今になって省みると、子供と過ごす喜びが、通勤途上にミステリを読むくらい、これといって趣味もなかった僕を支えたとさえ思える。
亡母には苦労をかけっぱなしで、自分勝手に生きてきたことを(せんないことながら)悔やむことが多い。
でも、この僕や弟も子供の頃は3人そろっての暮しに輝きや安らいがあって、それ故に母も前を向いて生きてこれたという面もなくはなかったのではないか。
そう思うと、少し心が安らぐのだ。
逆に、至らぬ親であったことを忸怩たる思いで噛みしめることも多いけれど、それも子供たちが小さかった頃は、彼らにも「サザエさん一家みたいな」楽しい家族だったようにも思いなして何がしかの慰謝を得てみたりする。
ひるがえって自分もこれでも母と言われている
情けない母でゴメンネ ゴメンネ。。。。
至らぬところは修正してくれと願うばかり
サザエさん一家みたいと思ってくれたらうれしいのだけれどー?
娘は「私は自力で幸せをつかんだのに」とつぶやく。
それがいい親子かもしれないです。
政界の方では、まだまだ第四、第五の疑惑の人が出てきそうな気配だし、ついに死人まで出てしまう始末。
ミステリー映画ならばのん気に楽しんでいられるのでしょうが、これが現実の出来事かと思うと、ため息しか出てきません。