「容疑者Xの献身」再論 納得できない人権無視

以下に書くことはこの小説のネタそのものに触れるので、これからこの小説を読むつもりの方は、そのことをご承知ください。

先の直木賞を受賞して今ベストセラー街道を突っ走るこの小説。作品・ミステリとしての出来はともかくその内容に問題があると思う。

「純愛」とか「無死の愛を描いた」ということが売りのように言われるその「無私・命懸けの献身」とは、一目ぼれの女性とその娘が犯した殺人を隠蔽する為に自分がもうひとつ別の殺人を犯し、その死体を隠ぺい工作につかう、ということなのだ。トリック設定のよしあしもここではおくことにする。

彼が用意した死体とは誰からもあまり注意されていないホームレス。まだホームレスになり立てで、髪も短く保たれ、髭も剃られている。工業系の雑誌を読んでいる。まだ再就職の道を諦めていない。青いビニールシートの生活とは一線を画したいとおもっている(文中の主人公の観察)。主人公は彼を「技師」と心中密かに名づける。
突然行方をくらましても、誰にも探してもらえず誰からも心配してもらえない人間、として生け贄になるのだ。もちろん主人公にも誰にも何か悪いことをしてはいない(少なくとも小説の中では)。

純愛・無私の貢献の主人公が「技師」を殺そうと決めるのは一瞬だ、逡巡や懊悩なぞ皆無だ。富樫(女が殺した男)の死体を目にした時、すでにひとつのプログラムが出来上がっていて・・いつ見つかるかと怯えながら暮らすような苦しみを味あわせることは耐えられない・・そこで「技師」を使おうと、決める。絞め殺したあと顔を潰し指を焼いて偽装工作をする。そのことについて主人公は「思い出すたびに気持ちが暗くなる」としか描写されていない。もともとクライ男なのだ。名探偵が登場しなければオミヤ入りだったかも知れない。何が無私だ!ムシがよすぎる!

「罪と罰」もある。極悪非道な主人公が残虐な殺人を連続して犯す小説も山ほどある。しかしそのような小説はそのこと自体がテーマになっていたり唾棄すべき事柄として書かれている。または犯した罪に対する良心の呵責や悩みを描く小説もおおい。
この小説のように”感動、泣ける””純愛・無私”の主人公の行為として肯定的に描かれることはあまりないのではなかろうか。ヒューマニズムというか健気な母子に同情して自らを犠牲にするというテーマの中でホームレスの扱いは”違和感”そのものだ。
人格などないように小道具のように殺される。”死体提供の役以上の何物も持たない”存在として圧殺される。ほとんど”背景”扱い。二つの矛盾に満ちた行為をなさねばならなかった弱き人間としての苦悩と悲哀を描いているとも思えない。要するに作家はホームレスを道具としてしか見ていないのだ。ギリギリのやむを得ざる選択としてのホームレス殺しではない。都合よくそこにいたホームレス殺しで間に合わせたのだ。
自家撞着している主人公をシニカルに描いたわけでもなく糾弾するわけでもない。戯画化しているのでもない。そこが問題だ。
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社会性などと関係のない純粋謎解きミステリならともかく、小説の冒頭に隅田川を歩く主人公を登場させそこでホームレスたちを紹介する鮮やかな手並みの中で事件の環境に現実性を付与している。そのような小説だから多くのフアンたちがわが身に引き寄せて興奮し感動したのだろう。そのような作品を表彰する審査員が問題だ。わずかな発言・失言でも見逃さず”問題視”するさまざまな人権団体や人権屋さんが問題にしないのだろうか。

そういう世の中になってしまったのか!子供たちがホームレスに集団暴行してももう記事にもならないかも。
Commented by YUKI-arch at 2006-02-05 17:30 x
二週間ぶりに、佐平次さんのブログに目を通しました。

当方は胆嚢手術で入院騒ぎでしたから、
心身ともに本調子ではありませんが、
「納得できない人権無視」の物言いには
溜飲が下がる思いです。

歳を重ねてきたら、
酒も、ブログも、
辛口が美味しい。
Commented by saheizi-inokori at 2006-02-05 20:18
YUKI-arch さん、お久しぶりです。ブログ再開ですか?
Commented by antsuan at 2006-02-06 12:30
誰だったか有名人で、「推理小説は読まない。人殺しの話だから」と、言っていた人が居ましたょ。私も推理小説はもう飽きて読まなくなりましたが、考えてみれば「ダ・ビンチコード」もその範疇に入るんでしたね。あれはキリスト教史の反面教科書だと思っています。
Commented by shimamelon at 2006-02-06 22:44
こじきがホームレスと呼ばれるようになったころから、無視も始まっているような気もする。
Commented by saheizi-inokori at 2006-02-06 22:57
そうかー、「こじき」より「ホームレス」の方が無視なのかあ。
Commented by waku59 at 2006-02-13 21:53
読みました。どうしてこの作品が直木賞なんだろう・・・。
Commented by saheizi-inokori at 2006-02-13 22:54
waku59さん、なんか変だと思いますよね。東横インの社長の発言が「障害者差別」といわれるならこの小説は「ホームレス差別」だと思う。それが問題にならないのが不思議です。
Commented by ぱんどら at 2006-02-15 08:51 x
【ぱんどら日記】へコメントありがとうございます。
私も「容疑者Xの献身」は読みましたが、人権のことまでは考えが及びませんでした。
ただ、あの主人公の思いを「純愛」と呼ぶのは何か違うなあ、と感じた次第です。
愛しているなら、あの女性を自首させて、刑期が終わるまで僕は待っているとかなんとか言えばいいわけで、無関係のホームレスの人を巻き込む必要はないですものねえ……。

でも作者は純愛をテーマにしたつもりはなかったのだろうと私は思います。
むしろ出版社が「純愛」というキャッチコピーを使いたかったのかな、なんて。
東野圭吾の作品はあっさりした味わいですが、味が薄すぎて誤解を招くこともありそうで……。

「白夜行」もドラマは純愛物語という解釈で作られているようですが、
あれは絶対、愛ではありません! 怖いですよ、雪穂ちゃん……。
Commented by saheizi-inokori at 2006-02-15 08:55
ぱんどらさん、全くあんな変態愛が純愛であってたまるものか!です。おっしゃるとおり自首を勧めるのが本当だよね。
Commented by ぱんどら at 2006-02-16 11:56 x
変態ですか(笑)。
まぁとにかく石神の心情は愛とは別物ですよね。

この本の終わりのほうで、石神が自殺を図る場面がありますが、
(すっごいネタばらしてる!)
世間の皆さんはその場面を読み落としてるんじゃないかと、
私はひそかに(ここに書いてるやん!)思ってます。

自殺したいほどの絶望の縁にあった石神を、
靖子という女性の笑顔が救ったんです。
靖子は石神にとって「希望の光」であって、
石神はその「光」を守ろうとして狂気に駆られた。
その結果があの犯罪です。

石神の行動の本質は純愛でもなければストーカーでもないと思います。
(ストーカー的な行動はありましたけど)

一見「愛」と見まちがえるような「狂気」を、
東野圭吾は書きたかったのではないかな……
と、ヘタレ本読みぱんどらは勝手ながら推察してます。

ただ、東野さんは、読み手の自由な解釈を許しすぎるんじゃないかな……。

出版社の人に「純愛」なんてキャッチコピーつけさせちゃいけません(笑)。

Commented by saheizi-inokori at 2006-02-16 22:39
ぱんどらさん、なるほどね。ただ私はこの小説にそういう深みを感じませんでした。20歳前の子供ならともかくいい大人が!まあちょっと信じられない。愛する女性がばれなければずっと平気でいられると考えること自体普通の神経じゃないです。
Commented by まざあぐうす at 2006-03-24 16:22 x
saheizi-inokoriさん、貴重なご意見ありがとうございました。この数年間、自分の感性がすごく鈍っていることを感じています。たまたま家族が買っていた本で、あまり読む気持ちになれなかった本を自分の課題が終わった一段落の時に読みました。

 読み終えた後、『ダ・ヴィンチ・コード』も『容疑者Xの献身』もどちらの作品も心が洗われる様な感動はありませんでした。そして、いずれも殺人という行為がメインに進むミステリーですので、私の好みではありませんでした。

 本当に仰る通り、人権問題だと感じます。
 言われて感じる自分の感性の鈍さを恥ずかしく思いました。

 自分が命をかけている数学さえできれば、人殺しを厭わない・・・これでは何かに身を捧げていたとしても、エゴの塊というだけ・・・

 コメントいただいた自分の感想はいずれ削除する予定です。saheiziさんのコメントも記事と一緒に消えてしまいますが、こちらのブログに残っていますので、大丈夫ですね。

 う~~ん、それにしても直木賞・・・・
 日本の文化のレベル、自分も含めて、感性が鈍っていることを反省しつつ感じています。

Commented by saheizi-inokori at 2006-03-24 23:45
まざあぐうすさん、そんなに云われると・・ちょっと自分もいいすぎてるかなあと。
Commented by ぱんどら at 2006-05-02 18:10 x
殺してはならないのはホームレスの男性だけでなく他の人間も同じです。また、殺人事件が起こる小説は他にもたくさんあります。人権侵害を叫ぶならそれら全てに向かって叫ばなければならないでしょう。失礼ながら、人権の問題というより、世間で評判の高い本を批判することを楽しんでおられる部分はありませんか?
携帯電話からの書き込みでした。失礼いたしました。
Commented by saheizi-inokori at 2006-05-02 23:12
ぱんどらさん、違います。よく読んでください。人を殺すことをどう扱うかを問題にしているのです。愛する女性の殺人を救うためにナゼホームレスを選んだか・しかもむごたらしい殺し方をして。そのことが小説の中の価値観で小さすぎる扱いをされていることが、そういう小説が許されることが今の世の中だと思って怒っているのです。あなたの言うような意味で殺人がケシカランというなら推理小説は成り立ちません。
Commented by ぱんどら at 2006-05-03 09:37 x
ケンカ腰になってしまいましたね。ごめんなさい。

ホームレス殺人は異常で糾弾されるべき行為です。犯罪者になることは、考え方が常識の範囲から逸脱することだと思うので、犯人は常識的な思考を失った状態で「この方法しかない」と思い込んだのでしょう。

この小説は純愛小説ではなくて犯罪小説です。常識を逸脱して犯罪に走った人の心理を描くものです。

聞いた話ですが、もとのタイトルは「容疑者X」で、出版社側から「の献身」をつけようという提案があったそうです。売り手は純愛とか自己犠牲とかの線で売りたかったのでしょう。
Commented by ぱんどら at 2006-05-03 09:39 x
えーと、すみません。つづきです。

それはともかく、これは純愛ではなく「犯罪を描く小説」だと思います。そして小説の中で犯罪は起こり、犯人は逮捕され、取調べを受けるところで小説は終わります。トリックも読者に明かされました。ホームレス殺人についても法的措置がとられるでしょうが、それはエンドマークの後のこと。
容疑者Xにはどんな罪がありますかね?  まずホームレス男性を殺したことが一番大きいかな? それから、あの女性が殺した人物の死体を隠したこと? あとは何だろう。詳しくは本を見て一つ一つ数えなければわかりませんが。

あなた様のご希望にそうためには、ホームレス殺人がどう扱われれば良かったのでしょう? 東野作品は私もいくつか読みましたが、すごく淡々とした筆致で、書き足りないかも、と感じるほどでした。小説に書かれない部分を読み手に考えさせたり想像させたりするのが東野作品の特徴だと思います。
Commented by ぱんどら at 2006-05-03 09:39 x
すみません。さらに続きです。


あなた様の「ホームレス殺人の扱いが小さい」という思いも、「小説に書かれていない部分に読者が考えをめぐらせたこと」でしょう。

あなた様が思うとおりに小説を書き直してブログで発表してはどうですか? 直木賞ねらいでもいいですし(笑)。
Commented by saheizi-inokori at 2006-05-03 11:12
ぱんどらさん、別にけんか腰でもなんでもないです。メールはこういうところが危ないですね。読む人の気持ちで書いた人の気持ちと違った読み方になってしまう。私は東野さんに代わって書く気も能力もないです。あの本を読んでの感想を述べたまでです。違う読み方をする人がいてもしょうがない、というより当たり前です。ただ、アアいう倫理観(狂気といいなんと言っても結局主人公に対する感情移入が予定されているのでしょうから)とか浅い(私には)書き方が大きな文学賞で認められるのがかなり残念だと思ったのです。一昨日アップした辺見庸さんの「審問」に書かれた現代を感じたのです。
Commented by ume at 2008-10-28 15:24 x
この本を読んだときに感じた疑問をいくつかあげます。
①「この女を救うためなら殺人も厭わない」と言うほどの魅力が弁当屋の女に感じられない。〈書き込みが足りない?)と言うことは、第二の殺人の動機もなくなってしまう。②アリバイ作りのためにストーリー展開上不用な人物〈ホームレス)を唐突に、登場させるのはリアリティーがない。さらに③アリバイ作りのために「更なる殺人」と言うのはあまりに安直すぎて〈人を殺すことに対して)、しかも、④ミステリーの「謎解き作法」にも反する。(ご都合主義過ぎて)
加えて、佐平次さんと重なるのですが
⑤第二の殺人の被害者にホームレスを選んだことの安易さ、捨て駒として「歩を選ぶ」に似た感覚?
手元に本が無く、私はよく覚えていないのですが、第一の殺人の死体はどこにあったか覚えていますか?映画の石神の告白では山中に掘って埋めたことになっています。〈映画も観ています。)ということなら、⑥最初から見つからないように死体を埋めておけば、無用な第二の殺人を犯さなくても済んだ話ではないでしょうか。⑦石神の絶望がなにに因るのか書かれていない? 以上
Commented by saheizi-inokori at 2008-10-28 15:58
umeさん、私ももう細部を忘れてしまったのですが、ご指摘には同意見です。
たしかに魅力のある女とはいえなかったかも^^。
井上ひさしなどが直木賞の選考委員をやっていて⑤の問題などが議論にならなかったのか、不思議です。
Commented by よし at 2008-11-08 18:30 x
ホームレスだから人命を軽んじてますかね
Commented by saheizi-inokori at 2008-11-08 20:50
よしさん、人格を無視しているのではないでしょうか。死体提供者としてしかみてない。
これがホームレスではなく自分の肉親だったりしたら直木賞はとれなかったのでは?
Commented by コモン at 2024-10-09 05:39 x
別のサイトで東野圭吾の名前が出てきたので、随分昔のことを思い出し、このブログに辿り着きました。
小説ではないのですが、このお話の映画が公開された当時、ちょっといい感じだった女性に誘われて観に行きました。
私もあなたと同じように、ホームレスの人権の扱いの軽さに憤りを感じてプンプンしてしまって、険悪な雰囲気になってしまい、それっきりになってしまいました。
私と同じように感じた方がいて嬉しかったのでコメントさせてください。
Commented by saheizi-inokori at 2024-10-09 10:20
> コモンさん、昔の記事にコメント、ありがとう、うれしいです。
なんであの当時の批評家はこの点を問題にしなかったのか、編集者の良識も疑います。
ホームレスを排除する東京都のような考え方がすでに世のなかにあったのですね。
Commented by コモン at 2024-10-10 04:00 x
ご返信いただきありがとうございます!
本当にそう思います。作品自体もそうですが、読者、観客、批評家や編集者も含め、問題意識を持たない方が多数派のように見えたことがとても意外でした。それだけ人権問題は難しいということかもしれませんね。
Commented by saheizi-inokori at 2024-10-10 11:00
> コモンさん、井上ひさしも審査員だったのですよね。
ほんとに読んだのかな、と思うくらいです。
Commented by meow at 2025-01-23 20:51 x
時代的に人権が軽視されているのか、みんなが偏愛のサイコパスに感情移入してるだけなのかわかりませんが、作品や犯人の持ち上げ方が宗教的であんまり好きにはなれませんでした
ミステリーの犯人なんで、どれだけ残忍、外道でも受け入れられますが、作品内外で言われている「やさしい犯人」という評価には違和感しかなかったです
古い記事に失礼しました
Commented by saheizi-inokori at 2025-01-23 21:54
> meowさん、古い記事にコメント、しかも好意的なご意見をありがとう。
私は今でもなぜこの作品が高く評価されるのか、不思議でなりません。
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by saheizi-inokori | 2006-02-05 17:08 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(29)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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