苦しさ辛さが喜ばしさ楽しさと分離してはいない世界 石牟礼道子「椿の海の記」 |


ラテはエスプレッソ、オレはドリップコーヒー、フランス語らしい店名、自慢のオレだろうに違いの分からない爺はお呼びじやないのかな。
でも静かな(空いている)居心地のいい店だから、小一時間の読書にはもってこい。
「椿の海の記」の第十章「椿」と最終章「外ノ崎浦」を読み終えた。
異界だけれど、とても懐かしい、どこか僕も住んでいた・住みたかったところに似通った異界に浸っていたような読書だった。
渡辺京二が「民衆という幻像」のなかでイヴァン・イリイチのヴァナキュラーという概念が明示されている作品だと書いていたので図書館から借りたのだ。
渡辺さん、ありがとう!この本は自分で手に入れて大事に読みますよ。

枝雀、「四季]と「ピアノ協奏曲」のCD、それに本書を借りた人。
なんか趣味が合うなあ、清楚な美人かもしれないぞ。

春の花々があらかた散り敷いてしまうと、大地の深い匂いがむせてくる。海の香りとそれはせめぎあい、不知火海沿岸は朝あけの靄が立つ。朝陽が、そのような靄をこうこうと染めあげながらのぼり出すと、光の奥からやさしい海があらわれる。ね、いいでしょ?
大崎(うさぎ)ヶ鼻という岬の磯にむかってわたしは降りていた。やまももの木の根元や、高い歯朶の間から、よく肥えたわらびが伸びている。クサギ菜の芽や、タラの芽が光っている。ゆけどもゆけどもやわらかい紅色の、萌え出たばかりの楠の林の芳香が、朝のかげろうをつくり出す。
本書についてはまた日を改めて書きます。

おばさんが「胡麻が入ってるのよ」と言ったので「老化防止だね、廊下で帽子」とかぶっていた帽子を指さしてナンセンスな冗談をいった。
おばさんはキョトン、横にいた娘さんがふきだした。

「念を入れて掘ったら今年最高の芋」、さっそくすり下ろして食った。
少し道子さんに近づいたような気がした。
思い出させてくださってありがとうございました。
しかし、
図書館で本を借りると、時々こんなことがあって楽しいですね。
昔の手書きの貸し出しカードがなくなって少し寂しい思いをしていましたが
最近の自動貸し出し機はまたこんなレシートを出すので
思いがけずこんな楽しみも復活したということでしょうか(^^ゞ
同志のような気持になりました。
憧れましたが、
自分には身に付きませんでした。
学生時代に試験の泥縄勉強依頼です。