「自由」であること

神奈川在住の胡乱亭さんは、ぼくと一日違いの浅草演芸ホールに行って、ヨシカミでポークソテーかなんか食ったあと、衝動的に「まつり湯」で一泊したそうだ。
早朝の浅草が時と共に見慣れた街に変化していく様子など、、わくわくしただろうな。
しっかり旅行支度をして見知らぬ遠くの町に旅するのもいいけれど、帰ろうと思えばいつでも帰れるような隣りの町でひとり朝を迎えるってのには、妙に心弾むものがある。
なにかが起きそうなワクワク感がある、実際は何も起きないのだけれど。
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学生時代に友達と銀座の片隅の小さなバーで飲みすぎてそのままそこの二階に泊まることになった。
「泊っていったら」と言ったママが「じゃあ、火にだけは気をつけてね」といって帰っていったのにはちょっとがっかりしたが、白々夜明けの銀座を二日酔い寝不足のぶさくれ頭で歩くと、ゴミの山や汚れた建物が多く、違った世界に来たような感じがして、それが面白かった。

胡乱亭さんの真似をしようかという気持もあるけれど、二の足を踏む心持もある。
サンチの世話はカミさんに頼むとして、薬を持っていない、パジャマ、枕、枕元のラジカセ、着替え、、「いつものように」が突然なくなることの戸惑いと居心地の悪さ。
銀座で着の身着のまま寝ころがって、歯も磨かずに町を歩いた僕は遠い昔の僕になってしまった。
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森友学園の籠池夫妻が4カ月も接見禁止で留置されっぱなしだという。
アベがトランプとゴルフをし、佐川が長官室でふんぞり返って、昭恵夫人が楽しそうにしゃべくりまわっている間、不自由をしのんでいる。
一泊とは言え警察の留置場に入れられたことのある僕には4カ月なんて気が狂うようだ。
不自由な一泊でも銀座のバー二階の不自由は自由の謳歌だった。
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昨日紹介した、渡部京二「民衆という幻像」、「社会主義は何に敗れたか」から。
渡辺は社会主義は資本主義に敗れたのではなく「西側先進国の高度な消費社会をひたすらに求める大衆の声」によって崩壊し、「西側諸国に溢れかえっているバイクやオーデイオ機器や若者フアッションやロック音楽や美食やにつぶされた」といい、自由主義論客は、「自分たちが地球まるごとこの(効率的経済という)化け物に呑みこまれる日の前祝いをしている」と指摘、
すべての抑圧を解除し、個人の遊動的自由に最大の価値を置く今日の文明は、なるほど利便と長所をそなえた「開かれた社会」であるだろう。だがそれは、存在の一切の意味を無化する虚無の遊動に対して開かれた文明でもある。自由な市場経済が保証する高度消費文明の行手に待っているのは、単なる環境破壊でも資源涸渇でもなく、心の荒野なのである。
人間は美食して好きにふるまうために、この世に生まれて来たわけではない。言論の自由も生活の利便ももっとほかの何ものかの手段にすぎない。人は何のためにコスモスに生を享けて来たのかという古い問いの前に、自由社会の勝利は色褪せるであろう。

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昨夕の月もよかったなあ。
散歩に出たら曇ってきていつもの木の色がくすんだのは残念だったが。
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Commented by urontei at 2017-11-25 13:16
拙記事へのリンク、ありがとうございます。

高度な消費社会をひたすらに求めた結果、浅草で一泊、という次第になりました (笑)
心の荒野も、まっすぐに突き進めばいずれオアシスに突き当たる・・・ と信じたいものです。
Commented by j-garden-hirasato at 2017-11-25 20:09
妄想は、妄想です。
Commented by at 2017-11-25 20:25 x
>学生時代に友達と銀座の片隅の小さなバーで飲みすぎてそのままそこの
このあたりのことを短篇に仕立てるのがうまいヒトがかつては文壇にいました。三浦哲郎、山口瞳、神吉拓郎・・・
日常に潜むかすかな非日常を淡々とドラマ化することの名手たち。
Commented by saheizi-inokori at 2017-11-25 20:56
> uronteiさん、貴兄は心の沃野ですよ。
あやかりたい。
Commented by saheizi-inokori at 2017-11-25 20:57
> j-garden-hirasatoさん、?わからないなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2017-11-25 20:59
> 福さん、半村良なんかもどうですか。
百閒さんだとエッセイかな。
Commented by sheri-sheri at 2017-11-25 22:06
行きすぎた消費社会・・文明社会というのでしょうか。人間の未来はもとより、地球に生きるすべての生命体を脅かしていますね。足るを知るということを肝に銘じなければ、早晩地球は持たないのではと思います。籠池夫妻が入れられているという留置所、テレビで放送されていましたね。籠池氏のほうは窓がなく極端に狭い2畳くらいの古いスペース、奥さんの方は冷暖房が無いそうで、いきなりそういう環境で寒さが辛いことでしょうと思いました。
Commented by ikuohasegawa at 2017-11-26 05:45
「まつり湯」で一泊に関連して、60歳で退職したとき書き出したやりたいことの中に『プチ家出』があったことを思い出しました。
実際は何も起きないのだけれど、なにかが起きそうな気がしたのでしょう。何か起こしてやろうと思ったのでしょう。
それでもカミさんに心配かけてはいけないので「今日、家出する。明日帰るから」って言いそうです。
Commented by j-garden-hirasato at 2017-11-26 07:47
「泊っていったら」と言ったママが…ちょっとがっかりした、
妄想ではないか。
Commented by sweetmitsuki at 2017-11-26 08:58
浅草演芸ホールの目の前にある液晶看板の架台は私が製作したもので、施工にも立ち会いました。
工事は深夜に行われ作業が終了するころには空が白んでましたが町の変化を感じる余裕はありませんでした。
強いて挙げるならお弁当屋さんが早朝からやっていて、そこの揚げ物がアツアツだったということぐらいです。
Commented by saheizi-inokori at 2017-11-26 09:04
> sheri-sheriさん、人間は宇宙の客、主人じゃないのですよね。
無罪推定という言葉は彼らの教科書にはなかったのでしょう。
ひどい人権無視です。
Commented by saheizi-inokori at 2017-11-26 09:06
> ikuohasegawaさん、やはりね、家出願望というのはどんなに幸せな夫婦にもあるのかな。
友人が退職したら20日間、一人でさまようことをカミさんの許しを得たと嬉しそうに言っていたのを思い出します。
Commented by saheizi-inokori at 2017-11-26 09:09
> j-garden-hirasatoさん、ああ、わかりました、すみません。
妄想まではなかったのですが(友達も一緒でしたし)、なんかワクワクな夜になるかなと思った、やはりこれも妄想でしたね。
Commented by saheizi-inokori at 2017-11-26 09:10
> sweetmitsukiさん、そうでしたか、こんど行ったときはそのつもりでマジマジと見ましょう。
Commented by antsuan at 2017-11-26 15:40
留置場にご厄介になったことがあるとは。
私も一泊だけでしたが、それにしても未だまだ容疑者に過ぎない国民にたいして60日とか4ヶ月とか、あのおそらく昔と変わらない留置場に拉致しているんですから、北朝鮮の独裁者とおんなじですね。
「行き過ぎた個人主義」という言葉を東京新聞で見つけました。自由主義も社会主義も正に「行き過ぎた個人主義」だと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2017-11-26 21:45
> antsuan、日本が自由な社会だと思うと籠池さんみたいな事例が現れます。
沖縄の山城博治も同じ。
知らないだけで真昼の暗黒なのですね。
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by saheizi-inokori | 2017-11-25 12:19 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(16)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori