甘ったるい話
2017年 11月 15日
あちこちの灯りがつく町を歩くと、いつも。
なんとも言えない寂しい気持、さびしいけれどどこかに甘さのある追憶にとらわれる。
どこか少し離れたところに一人で遊びに行って、思いがけず遅くなってしまったのだ。
腹もすくし、寒くなってきたし、家路を急ぐ。
あちこちの家の灯りが、そこに家族の存在を示し、ときには笑い声や怒鳴り声などが聞こえてくる。
目指す僕の家には弟が一人いるか、彼もどこかで遊んでいるのかもしれない。
大根や野沢菜が出しっぱなしの家もある。
風が出てきた。
家に母がいてくれたらどんなにいいだろうと思うが母はまだ残業だろう。
弟が一人でいる。
炬燵は?ちっとも暖かくない。
布団をめくって首を突っ込んでみると火が見えない。
火箸で突っついてふ~っ、灰神楽。
ちらっと赤く火が見える。
ふ~ふ~、懸命にふいてなんとか再び活火山、炭を足す。
パチパチとはねて独特の匂い、炭団をいれて、そおっと網をかけ布団をおろす。
応急手当てで火が熾きないときは、台所の竈で最初から炭を熾すのだ。
それは休日、母が在宅の、暖かな家に帰るときの感覚を思い出させるのだ。
寂しいのは炬燵のある、あの暮らしが二度と戻ってこないからだ。
「ただいま~遅くなったね」という母の声が戻ってこないからだ。
あちこちの家に灯りがともる夕暮れ時は、切ないような温かい家の中が恋しくなるような、幼い頃を思い出す好きな時間帯です。
ほろり。。。。。涙
私も時々無性に母が足りない。と言う感覚に襲われます
例えば母のおにぎりはどう転んでもジタバタ喚こうが、もう二度と食べられない って事や、一緒に玄米茶を飲んでおしゃべりすることもできないって事や、そして私が仕事を終えて家に戻り お勝手口から入るとお台所が湯気でもうもうしてて、ご飯のいい匂いがしてて、お帰りなさいと言う母の声や、今は充分幸せだけど、母が足りない。と、、なんかそう言う時ってどうしようもない寂寥感で目がくらっとします。
私ね母が亡くなって3年 鬱でした
どうして、逝かなきゃいけなかったのがうちの母じゃなきゃいけなかったんだろう、とかね。よく考えました 苦笑
、、と書きながら、多分saheiziさんの奥様が今そう言う思いなさってるんじゃあないかなあと思いました
これだけは誰にもどうすることもできないんだけど、でもsaheiziさんが側にいてくれることがきっと凄い支えになってると思います
でも暫くすれば悪い記憶は忘れられ、-今の境遇が好いと?!ー
まあ、今日が平穏ならば良しとしてかな??
寂寥感と喪失感からくる眩暈。
みんな母をなくす、自分が先に逝かなかったのは良かったと頭ではわかっていても、自分の母だけは特別仕立てだと思うのですね。
もっとも母親と仲の悪い人もいるからすべてに当てはまるわけではないでしょうが。