情けは人のためならず
2017年 10月 05日
今朝東京新聞であのときの国会議員たちの賛否行動の一覧を見て気がついた。
2015年7月16日衆院本会議投票行動、採決を退席137人の内民主70人とある。
そうだよ、まだ民主党だったね、これも間違えた。
こんなことを間違えるなんて耄碌の極みと情けなくなるが、若い国会議員たちが、まさか自分の行動を忘れたわけでもないだろうに、退席どころかいそいそと小池の差し出す連判状にハンを押して安保法制を容認するとは、もっと情けない。
恵まるるそはそれなりに惜しみなく人に分つに尚愉しかり夏休みに祖母の家(間借り座敷)に遊びにいくとて持参したわずかばかりのお土産を、これは○○さん、こっちは××さん、とご近所へ菓子箱の中身を分けて包み、子供我に挨拶がてらもっていくようにと云いつけた。
それが済むまでは遊ぶことも出来なかった。
それがわかっているから亡母は少しでも分けやすいお土産を算段して持たせてくれたものだ。
母の句。
新羅古都山平なり柳散る母の亡くなる一年前、母の通った釜山高女への旅に連れて行って慶州にも足を伸ばした。
翌年の母の年賀状
もっともっといろんなところに連れて行ってやりたかった。
温かい野菜の煮物とママの話がカミさん(と僕)の気持ちを落ち着かせてくれる。
義母の容体は日本の民主主義よりも深刻だ。
亡母や亡妻にしてやれなかったことを少しでもしてあげたい。
自分のためだ、後悔の度を減らすための。
お母様の優しい明るい筆跡にお人柄がしのばれます。そしておばあさまのゆかしい生き方。奥様のお母様のご病気ガ少しでも回復に向かわれますようにお祈りします。
義母も花が好きで桜を見に吉野に連れて行ったけれど早すぎたことを思い出します。