浅草大好き 浅草心配 どうなる浅草
2006年 01月 28日
久しぶりの浅草。映画「ニューシネマパラダイス」と矢野さんの「酒場の藝人たち」が心のどこかに作用したらしい。無性に来たかった。何故だろう?浅草に来るとワクワクする。学生時代も全線画一料金25円の地下鉄銀座線でときどき訪れた。お金が無いからただ歩くだけだった。
田舎育ちの俺なのに、何か”フルサト”みたいな懐かしさを感じる。長い間日本中の田舎モンの一度は行って見たいところであり続けた浅草。江戸っ子の粋とか言いながらどこか田舎者にも馴染みやすいダササがある。

「藪蕎麦」も健在、花まきとざるを食う。スタッフの応対が親切で気持ちがいい。
木馬館わき道から。大道具のちょっとした細工はここでするらしい。


いくつかのわき道に軒を連ねるいろんな店。面白いといえば面白いがいつも思うのは「よくやっていけるなあ」ということ。花やしきの近くにある床屋さん、一度入ってみようか。


六区の封切館・東宝はつぶれるそうだ。三本立ての映画館が並ぶ。松竹、大映、日活ごっちゃに古いのが観れる館やポルノ専門館。俺は昔”窓際”に追いやられ毎日やることが無かった頃、あちこちさまよっているといつの間にか浅草に引き寄せられていることが多かった。当時三本1000円だったか南京豆をぼりぼりかじりながら観て時間をつぶす。寅さんを観ていたら後ろから”くさい”男が「あんチャン、こんないい奴イネーよな」とつつく。振り向くとキタネエオヤジが涙ぐんでいる。明日はわが身か、とちょっと哀しかった。
大勝館、ロック座、東洋館、浅草演芸ホールとどうやらこのあたりにも”ワクワク”の震源地があるようだ。東洋館は芝居がかかっていて役者が呼び込み・チラシを配っていた。演芸ホールは立見席です、の看板。
写真を撮り忘れたが、たいてい行くのが「蛇骨湯」。フロントのおばさん、俺の方は勝手になじみになっているので挨拶をする。向こうは覚えているはずも無いのに知った人みたいな挨拶を返す。鉱物の色とでもいうのか黒と黄色の混ざったような”露天”温泉が人気。三社祭りの日など全国からきたかつぎ手が汗を流している。
今の浅草の問題点。浅草寺をはじめしょっちゅうイベントが行われていてそれぞれ多くの人が集まるのに夜になると何処かへ帰っていく人が多い。
田舎モン(住所は東京が多い)が安心して楽しく飲み食いできるところがあるのか無いのかよく分からん。あるのは観光客相手の”有名な”店か、地元の訳知り相手の店。そしてその中間。この中間が数は多いが入ってみるとやや難アリが目立つ。砂原に落ちているきれいな石を自分で探すのは楽しいとはいうものの、砂原が広い割りにきれいな石が少ないので普通の家族連れなどには大変だろうな。いってみれば、結構オタカクとまって田舎モンを田舎モン扱いしている浅草飲食街。こんなはずじゃなかったのでは?
田舎育ちの俺なのに、何か”フルサト”みたいな懐かしさを感じる。長い間日本中の田舎モンの一度は行って見たいところであり続けた浅草。江戸っ子の粋とか言いながらどこか田舎者にも馴染みやすいダササがある。


「藪蕎麦」も健在、花まきとざるを食う。スタッフの応対が親切で気持ちがいい。
木馬館わき道から。大道具のちょっとした細工はここでするらしい。


いくつかのわき道に軒を連ねるいろんな店。面白いといえば面白いがいつも思うのは「よくやっていけるなあ」ということ。花やしきの近くにある床屋さん、一度入ってみようか。


六区の封切館・東宝はつぶれるそうだ。三本立ての映画館が並ぶ。松竹、大映、日活ごっちゃに古いのが観れる館やポルノ専門館。俺は昔”窓際”に追いやられ毎日やることが無かった頃、あちこちさまよっているといつの間にか浅草に引き寄せられていることが多かった。当時三本1000円だったか南京豆をぼりぼりかじりながら観て時間をつぶす。寅さんを観ていたら後ろから”くさい”男が「あんチャン、こんないい奴イネーよな」とつつく。振り向くとキタネエオヤジが涙ぐんでいる。明日はわが身か、とちょっと哀しかった。
大勝館、ロック座、東洋館、浅草演芸ホールとどうやらこのあたりにも”ワクワク”の震源地があるようだ。東洋館は芝居がかかっていて役者が呼び込み・チラシを配っていた。演芸ホールは立見席です、の看板。
写真を撮り忘れたが、たいてい行くのが「蛇骨湯」。フロントのおばさん、俺の方は勝手になじみになっているので挨拶をする。向こうは覚えているはずも無いのに知った人みたいな挨拶を返す。鉱物の色とでもいうのか黒と黄色の混ざったような”露天”温泉が人気。三社祭りの日など全国からきたかつぎ手が汗を流している。
今の浅草の問題点。浅草寺をはじめしょっちゅうイベントが行われていてそれぞれ多くの人が集まるのに夜になると何処かへ帰っていく人が多い。
田舎モン(住所は東京が多い)が安心して楽しく飲み食いできるところがあるのか無いのかよく分からん。あるのは観光客相手の”有名な”店か、地元の訳知り相手の店。そしてその中間。この中間が数は多いが入ってみるとやや難アリが目立つ。砂原に落ちているきれいな石を自分で探すのは楽しいとはいうものの、砂原が広い割りにきれいな石が少ないので普通の家族連れなどには大変だろうな。いってみれば、結構オタカクとまって田舎モンを田舎モン扱いしている浅草飲食街。こんなはずじゃなかったのでは?

佐平次さんのいう通り、若い頃浅草で飲むときは、本当に困りました。
何か妙に受け付けないところがありましたね。
むしろ、銀座や、麻布のほうが、田舎者でも、吸い込んでくれるところ
がありました。
だけど、浅草は、魅力的で、流れているものは人情で、その空気が大好きでした。
ただ、この5,6年どうなんでしょう。
うわべだけになってる気がして仕方ないのです。
あれだけの庶民文化の地を、もっと活性化したいですね。
石原さんも、これからは、庶民文化に目を向けて欲しいですね。
何か妙に受け付けないところがありましたね。
むしろ、銀座や、麻布のほうが、田舎者でも、吸い込んでくれるところ
がありました。
だけど、浅草は、魅力的で、流れているものは人情で、その空気が大好きでした。
ただ、この5,6年どうなんでしょう。
うわべだけになってる気がして仕方ないのです。
あれだけの庶民文化の地を、もっと活性化したいですね。
石原さんも、これからは、庶民文化に目を向けて欲しいですね。
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夢八さん、全くです。浅草の活性化がある意味では日本の活性化につながるかもしれませんね。伝統と人情、それをどう若者に伝えることができるか。
by saheizi-inokori
| 2006-01-28 22:43
| こんなところがあったよ
|
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