麹町は落語で夏祭り 第589回「落語研究会」
2017年 07月 20日
人と会って半蔵門に着いたのが5時、落語研究会まで90分ある。
銭湯「パン・ドウーシュ」で脱衣所のロッカーに荷物を置いてから歩く。
以前、明走会のメンバーだったり会社の走らん会をやっていた頃は、こうしてから皇居1~2周して風呂に入って一杯会というコースだった。
きょうは一人で歩く。
番台に鍵を預けて黒板に名前と番号を書く、「行ってらっしゃい」とオバサン。
まだ日差しは強いが日陰を選んで行くと涼しい風が通り抜ける。
改めて歩くとイギリス大使館て大きいな、落日に照らされた建物がかつての栄光を偲ばせる。
40分ちょっと歩いて銭湯に入る。
「明走会」の黄色いシャツの人が次々に着替えては出ていく。
リーダーのSさんやMさんは元気にしているのだろうか、ちょっと聞いてみたいような気もした。 汗を流してシャツも着替えて散歩の途中で買った480円のクリームを塗って(尊顔に)、さあ落語だ。
宮治「徳ちゃん」
ホントにパアパアよくしゃべる。
しゃべらない落語家なんていないのだが。
品もないし。
兼好「一眼国」
両国広小路のインチキ見世物小屋の噺は、「逝きしよき江戸」の人々が「蛙女」(向こうから来た女が帰っていく)、「八間の大灯籠」(八間の小屋のなかを通ろう)、「人と生まれたら見なくてはいけない・ベナ」(鍋がさかさまに置いてある)などに怒りもせず楽しむのだ。
現代の人々はほんとうの蛇娘や鬼女がくる日も来る日もワイドショーに出てくるから、こんな見世物は成り立たない。
一つ目を捕まえて見世物にしようと出かけた男が逆に一つ目の集団につかまって見世物にされる。
だだっ広い野原のあちこちからぴょこりぴょこりと一つ目が現れるところはもう少し間を取って、緩急をつけて怖がらせてほしかった。
そもそも見世物小屋の話がマクラみたいなものだから、その前のあいさつ代わりのマクラなんて短くしても(38度の多治見でエアコンなしの寺での落語会の話、うけてはいたが)。
この人の”悪声”が見世物小屋の呼び込みに合っていた。
小さん「青菜」
”ひと夏に一度は聴きたいベスト3”に入選間違いなしの噺。
う~む、どういったらいいのか。
どうしても小三治がちらつく、そうすると、「水を撒いたあとの庭の涼しさ」とか「口のなかが暑いから、柳陰や鯉の洗いが冷たく感じられる」、氷がキーンとくる、ぎゃくにはっつあんの家で押し入れに押し込まれたカミさんの熱地獄の様子などが物足らない。
お店の旦那の厚みを隠した穏やかにして粋な人柄も伝わらないのだった。
建具屋のハンちゃんとの掛け合いも盛り上がらない、ここは爆笑が欲しいのに。
けっして悪くはなかった小さんにはちょっと気の毒なのだが比較してしまうのだ(ほかの噺家と違って)。
仲入り後「ここからが本当ですよ、今までは○○だ」と言って扇辰「なす娘」
末廣亭で代演、「なす娘」をさらってきたとマクラで言うだけに、みごとな出来だった。
茄子を育てながら「大きくなれよ、そうしたらわしのサイにしてやる」という「菜」を「妻」と勘違いして恥らいながら坊さんの蚊帳の裾に現れた茄子の精が植物的な色気を漂わせ、その娘がまたカワイイ。
夕立、遠雷の描写も工夫があって(あっさりだが)雰囲気がでた。
久しぶりに扇辰健在を感じさせて亡き師匠・扇橋も満足ではないか。
(小満んの「王子の幇間」に登場した幇間の名前、なぜか嬉しくて)
雲助「佃祭」
これもベスト3の有力候補だ。
祭りが三度の飯より好きな裕福な小間物屋・次郎兵衛と焼きもち焼きの愛妻おたま、
佃祭の喧騒、とくに暮色漂う風情、川風が通り抜け、風鈴がチリリン、若い娘たちのさんざめき、門ごとに下がる提灯、花ござの匂い、、ああ、いいなあ。
次郎兵衛が身投げをしようという娘を救ったのが三年前の今日、6月17日。
名前も聞かずに別れた命の恩人を「両国橋で助けて下さったダンナ様」と亭主の金太郎が(金釘流で)紙に書いて神棚に貼って毎朝拝んでいた、その娘が次郎兵衛の乗船するのに気がつき、一言お礼をと引き留めたから船に乗れなかった、こんどは彼女が命の恩人。
筋骨隆々でまっつぐな気性がすがすがしい船頭金太郎と初々しい女房、、ああ、いいなあ。
一転、渡し船が転覆、次郎兵衛もてっきり土左衛門したと思った近所の連中が手回しよく葬儀の支度を始める。
うちそろって悔やみに行く、入れ替わり頓珍漢なことを言うのがおかしい。
ちょっとした短編小説、映画にもなりそうな話、力のある人でなければやりきれない。
雲助!サイコー!
銭湯「パン・ドウーシュ」で脱衣所のロッカーに荷物を置いてから歩く。
以前、明走会のメンバーだったり会社の走らん会をやっていた頃は、こうしてから皇居1~2周して風呂に入って一杯会というコースだった。
きょうは一人で歩く。
番台に鍵を預けて黒板に名前と番号を書く、「行ってらっしゃい」とオバサン。
改めて歩くとイギリス大使館て大きいな、落日に照らされた建物がかつての栄光を偲ばせる。
40分ちょっと歩いて銭湯に入る。
「明走会」の黄色いシャツの人が次々に着替えては出ていく。
リーダーのSさんやMさんは元気にしているのだろうか、ちょっと聞いてみたいような気もした。
宮治「徳ちゃん」
ホントにパアパアよくしゃべる。
しゃべらない落語家なんていないのだが。
品もないし。
兼好「一眼国」
両国広小路のインチキ見世物小屋の噺は、「逝きしよき江戸」の人々が「蛙女」(向こうから来た女が帰っていく)、「八間の大灯籠」(八間の小屋のなかを通ろう)、「人と生まれたら見なくてはいけない・ベナ」(鍋がさかさまに置いてある)などに怒りもせず楽しむのだ。
現代の人々はほんとうの蛇娘や鬼女がくる日も来る日もワイドショーに出てくるから、こんな見世物は成り立たない。
一つ目を捕まえて見世物にしようと出かけた男が逆に一つ目の集団につかまって見世物にされる。
だだっ広い野原のあちこちからぴょこりぴょこりと一つ目が現れるところはもう少し間を取って、緩急をつけて怖がらせてほしかった。
そもそも見世物小屋の話がマクラみたいなものだから、その前のあいさつ代わりのマクラなんて短くしても(38度の多治見でエアコンなしの寺での落語会の話、うけてはいたが)。
この人の”悪声”が見世物小屋の呼び込みに合っていた。
”ひと夏に一度は聴きたいベスト3”に入選間違いなしの噺。
う~む、どういったらいいのか。
どうしても小三治がちらつく、そうすると、「水を撒いたあとの庭の涼しさ」とか「口のなかが暑いから、柳陰や鯉の洗いが冷たく感じられる」、氷がキーンとくる、ぎゃくにはっつあんの家で押し入れに押し込まれたカミさんの熱地獄の様子などが物足らない。
お店の旦那の厚みを隠した穏やかにして粋な人柄も伝わらないのだった。
建具屋のハンちゃんとの掛け合いも盛り上がらない、ここは爆笑が欲しいのに。
けっして悪くはなかった小さんにはちょっと気の毒なのだが比較してしまうのだ(ほかの噺家と違って)。
末廣亭で代演、「なす娘」をさらってきたとマクラで言うだけに、みごとな出来だった。
茄子を育てながら「大きくなれよ、そうしたらわしのサイにしてやる」という「菜」を「妻」と勘違いして恥らいながら坊さんの蚊帳の裾に現れた茄子の精が植物的な色気を漂わせ、その娘がまたカワイイ。
夕立、遠雷の描写も工夫があって(あっさりだが)雰囲気がでた。
久しぶりに扇辰健在を感じさせて亡き師匠・扇橋も満足ではないか。
雲助「佃祭」
これもベスト3の有力候補だ。
祭りが三度の飯より好きな裕福な小間物屋・次郎兵衛と焼きもち焼きの愛妻おたま、
佃祭の喧騒、とくに暮色漂う風情、川風が通り抜け、風鈴がチリリン、若い娘たちのさんざめき、門ごとに下がる提灯、花ござの匂い、、ああ、いいなあ。
次郎兵衛が身投げをしようという娘を救ったのが三年前の今日、6月17日。
名前も聞かずに別れた命の恩人を「両国橋で助けて下さったダンナ様」と亭主の金太郎が(金釘流で)紙に書いて神棚に貼って毎朝拝んでいた、その娘が次郎兵衛の乗船するのに気がつき、一言お礼をと引き留めたから船に乗れなかった、こんどは彼女が命の恩人。
筋骨隆々でまっつぐな気性がすがすがしい船頭金太郎と初々しい女房、、ああ、いいなあ。
一転、渡し船が転覆、次郎兵衛もてっきり土左衛門したと思った近所の連中が手回しよく葬儀の支度を始める。
うちそろって悔やみに行く、入れ替わり頓珍漢なことを言うのがおかしい。
ちょっとした短編小説、映画にもなりそうな話、力のある人でなければやりきれない。
雲助!サイコー!
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at 2017-07-20 20:46
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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j-garden-hirasato at 2017-07-21 06:44
半蔵門で落語が聞けますか。
銭湯もあるのですね。
小ジャレタ名前です。
この辺り、
娘の大学受験のとき、
ウロウロしました。
銭湯もあるのですね。
小ジャレタ名前です。
この辺り、
娘の大学受験のとき、
ウロウロしました。
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saheizi-inokori at 2017-07-21 09:40
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saheizi-inokori at 2017-07-21 09:42
> j-garden-hirasatoさん、国立演芸場と小劇場があります。
落語研究会は小劇場なのです。
この銭湯は皇居一周ジョガーのお陰で大繁盛、いまではほかの銭湯も荷物預かりをするところが増えているのではないかな。
落語研究会は小劇場なのです。
この銭湯は皇居一周ジョガーのお陰で大繁盛、いまではほかの銭湯も荷物預かりをするところが増えているのではないかな。
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福
at 2017-07-22 07:23
x
テレビ番組でたけしが演芸場の小さいことをお笑いの位置を端的に示す、と嘆くように語っていました。
それでも、あの都の真ん中にあって快適な環境で聴けることは良しとしなくてはいけないんでしょうね。
ロビーで人が優しい顔つきで行き交う落ち着いた感じが好きです。
それでも、あの都の真ん中にあって快適な環境で聴けることは良しとしなくてはいけないんでしょうね。
ロビーで人が優しい顔つきで行き交う落ち着いた感じが好きです。
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saheizi-inokori at 2017-07-22 09:15
> 福さん、落語はあの広さが限界、あまり広いとつまらないです。
一番後ろでもよく見えるし、入場料が安いのも魅力です。
でもこの間小劇場をつくづくみたら絨毯がすり切れそうだったりかなり痛んでいました。
一番後ろでもよく見えるし、入場料が安いのも魅力です。
でもこの間小劇場をつくづくみたら絨毯がすり切れそうだったりかなり痛んでいました。
by saheizi-inokori
| 2017-07-20 13:53
| 落語・寄席
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