死の問題などというものは 大城立裕「朝、上海に立ちつくす 小説東亜同文書院」
2017年 06月 23日
1 朝から元気に働いてシャワーを浴びて、せんじつ散歩の途中で買ったお気に入りのボーダーTシャツに着かえる、部屋がきれいで窓の外には洗濯物がはためいている。
2 いつもの野菜スープがうまくて、糠漬けもますます旨い。
「東洋の志士」といった共通自覚を、一方では植えられている。欧米の侵略から中国を守らねばならぬ、中国を救わなければ日本も危ない―と考えて、明治34年に東亜同文書院創立したと根津一は説いた。そのための指導者を書院は養成するのだ、という。そのような観念が連帯の雰囲気を作ることもあろう。現に、数多い寮歌の歌詞は、その思想で塗りつぶされているし、学生たちは酒を飲み、その歌を高唱して寮廻りをする。寮廻り、ぼくたちの寮ではストームと称したなあ。
体育会系の連中のストームはしばしば暴力的だった、抗議して竹刀で眼鏡を割られた友人の顔などを思い出しながら読んだ。
学徒出陣のあと、学生の誰もが、このまま卒業まで勉強を続けることができない、という意識に責められた。兵隊に行くまでにどれだけ本を読めるかー。そのようなときに五代教授は、ある日の授業でポツリと言った。「死の問題などというものは、戦争へ行けばおのずから会得することです。とにかく、それまでは本を読みたまえ。三日一冊主義でいきたまえ」。青春真っ只中、しかもアルバイトもし、兵隊に化けて本物の兵隊のお供をして周辺の農家から軍用米を強制的に、タダ同然の価格(当時汪兆銘政権の発行した銀行券の価値が低い、物価は日本の一万倍)で”買い上げ”るのを手伝わなければならない。
幸せソングを歌っている隠居とは違う、彼らに専門書や古典の三日一冊は難しい。
沖縄にいる恋人一家も全滅、両親もいつまで生きていられるか。
中国を救う、、はずが中国と戦い、中国人を苦しめている。
三菱造船所は中国の敵なのか味方なのか。
敗戦後、主人公・知名は知人の中国人の家でご馳走になる。
沖縄出身であることは、普通の日本人より彼らに親近感があるかのようだ。
「琉球(かつて中国領土だった)の人が日本の軍隊に徴兵されて中国人と戦うなんて不思議だ」という娘もいる。
知名はかすかに酔い泣きをした。「戦争が終わったあと、日本人の多くがこの戦争を悔やんでいる。僕もそうです。同文書院の学生はみなそうだと思う、、」「戦争のさなかに、あなたがたはそれを考えるべきであった」范景光が言った。知名は驚いて、酔眼でその顔を見た。眼鏡の奥でその眼はかすかに笑っていた。戦争のさなかに、君とはじめて会ったときから、いつ君がそれを言いだすかと待っていた、とその眼は言っているようであった。
自分の幸せを感謝しているばかりではいけないね。
中公文庫
みょうがの赤がきれいです。
秋田にもみょうがの大産地があるのですが、それがお店に並ぶのは夏の終わり。
そろそろ私もみょうがをつけます。
saheiziさん、パプリカも美味しかったです。おすすめ!
マダム、親切ですね。
スモークツリーは秋になると萌えるように紅葉します。
でも漆の種類なのでご用心ですよ。
uuu...
<戦争のさなかに君とはじめて会ったときから、いつ君がそれを 言いだすかと待っていた、とその眼は言っているようであった<
糠漬け ますます -ÖÖ!
その昔,「古文研究法」(洛陽社) でお世話になりました。
糠漬け談義は人さまざま、みんな自分のやり方がいいと思っているのが楽しいです。
ビールを入れちゃダメという人と入れると好いという人とみたいに。
マダム、人懐っこい方、またそっちの方に行ってみようかな。
施設の方の手作りなんでしょうか。
羨ましい。
読んで、非常に興味がわき調べたことがあります。
当時の上海は、本当に不思議な世界だったのですね。
甘粕がらみの様々な物語にもよく登場する学校で、堀田善衛たちも同時期の上海に居たわけで、スパイや文化人が入り乱れる魔都上海!
物語としてはワクワク…ですが、勿論、そんな軽い状況では無かったわけで…
今の世界も、戦争前夜の気配ですが、今の魔都はどこなのでしょう。
サイバー攻撃の現代では、本当にある地球上の都市ではなく、
バーチャル空間のどこか、かもしれませんね。
戦争で儲けたい人々と、それを阻止しようとする人々が戦っている…
現在は愛知大学となり、「現代中国学部」があります(中国語ではありません)。今も名残の「現地調査」を形はちがっても行っています。
私、そこに社会人入学して四年間過ごしました。ユニークな学部です。卒業したのは10年ほど前ですが、懐かしい・・・