幸せになりたければ服従せよ ミシェル・ウエルベック「服従」

本当のことを言うと、ぼくの心は、世俗の宴によってかたくなになり、煙に燻されてしまったのだ。ぼくはなにをやってもだめなのだ。
19世紀後半の作家・ジョリス=カルル・ユイスマンスの「出発」からの引用が冒頭におかれ、ユイスマンスを心の友として大学生活を送った「ぼく」・フランソワが許された時間を使い尽くし、なんども期限を延ばしたあげくソルボンヌ大学の博士課程を卒業するところから始まる、近ごろ稀なる愉快な小説。
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2022年のフランス、国民戦線のマリーヌ・ルペンが大統領選のトップに躍り出てイスラーム同胞党のモアメド・ベン・アッベスが二位になる。
アッベスの巧みな戦略(イスラムを恐れるな、何も変わらないよ)もあって左派の社会党と保守・中道派のUMP(国民運動連合)が、イスラームを選びイスラーム政権ができる。
アッベスは人々を安心させる、伝統的な価値をシャ―リアに取り戻させたのです。そして、そこにはエキゾチズムの香りも漂っていて、さらに好ましいイメージを付け加えています。家庭、伝統的なモラル、そして口には出しませんが父権の回復については、大きな道が彼には開けています。それは、右翼には通れない道であり、またもし国民戦線がその道を進んだりすれば68年世代の生き残りたち、ミイラ化した進歩主義者たちから、保守反動の権化、さらにはファシストと非難されることになるでしょう。かつての左翼は社会的には血の気を抜かれ、メデイアの城塞に避難していいます。そこからなら、時代の不幸について、そして国に拡散している、いわゆる『吐き気を催すような空気』に対する呪詛の言葉を投げかけ続けることが可能だからです。ベン・アッバスだけがあらゆる危険から遠い場所にいます。左翼は最初から、人種差別を強く否定する立場上、第三世界出身のベン・アッバスと闘うことも、彼の名を出すことさえできなくなっています。
情報機関にいた男の分析だ。
アッベスの野心はトルコ・モロッコ・チュニジア・アルジエリア、、さいごはエジプトも含めたヨーロッパ大統領になることらしい(そんなことは公言しない)とも教えてくれる。
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自由の国フランスの知的エリートたちは右往左往、ユダヤ人はイスラエルに脱出したり大学教授の地位(サウジアラビアの資金によって格段に待遇はよくなる)にとどまるためにイスラム教に改宗する者もでてくる(女性は辞めさせられる)。
だが、フランスは落ち着きを取り戻して幸せそうなのだ。
豪邸に15歳を始めとする4人の妻と暮らすソルボンヌ大学学長がフランソワに大学に戻ってくるように誘いをかける、イスラム教に改宗することが条件だ。
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彼が住む家はドミニク・オーリーが『O嬢の物語』を書いた家なのだ。
『O嬢の物語』にあるのは、服従です。人間の絶対的な幸福が服従にあるということは、それ以前にこれだけの力を持って表明されたことがなかった。それがすべてを反転させる思想なのです。(中略)
女性が男性に完全に服従することと、イスラームが目的としているように、人間が神に服従することとの間には関係があるのです。お分かりですか。イスラームは世界を受け入れた。そして、世界をその全体において、ニーチエが語るように『あるがままに』受け入れるのです。仏教の見解では、世界は『苦』、すなわち不適当であり苦悩の世界です。キリスト教自身もこの点に関しては慎重です。悪魔は自分自身を『この世界の王子』だと表明しなかったでしょうか。イスラームにとっては、反対に神による創生は完全であり、それは完全な傑作なのです。コーランは、神を称える神秘主義的で偉大な詩そのものなのです。
儀式的な目的でコーランを翻訳するのを禁じている唯一の宗教だと学長はいう。
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イスラーム共同体向けに書かれた論文のなかで、学長は「イスラームは世界を支配する運命にある」ことと、「富の極度に不公平な分配に賛成である」ことをきっぱりと述べている。
大金持ちたちは、過剰で常軌を逸した消費に身を任せることができ、それが、豪奢な文化、豊かな芸術を育成し、支援することにつながるのだと。
雄の間の不公平は自然淘汰を促し、したがって一夫多妻制は種の運命を決めるための目標だともいう。
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辛辣なユーモアに満ちた「愉快な」小説だけれど、笑ったあと薄気味悪い寒気が襲ってくるようでもある。
活力を失い、身動きが出来なくなっているヨーロッパ精神を冷笑して、ふと気がつけば日本も日本会議なるカルトがアベ=コイケ連合で「イイじゃないかニッポン!」、服従する幸福を選びつつあるようでもある。

河出書房新社
大塚 桃訳
Commented by Sora pon at 2017-06-21 19:15 x
> 服従する幸福を選びつつある <

No!NO!No!No!
国民は塗炭の苦しみを味合うことになる
AKIRAMENAI Domei****
Commented by たま at 2017-06-21 22:17 x
日本のアジサイは、ホントは「ガクアジサイ」(岳紫陽花)なのに、普段見慣れた「西洋アジサイ」(=ハイランジア)をもって「紫陽花」というのは悲しいですね。
 異国の長崎(出島)から故郷の欧州に持ち帰って、日本の(一時的な)奥方の「おたきさん」にちなんで、これを「オタクサ」と名付けた、かのドイツ人「シ-ボルト」を、雨にうたれて徘徊するナメクジの思いに託しつつ・・・。
Commented by saheizi-inokori at 2017-06-22 00:05
> Sora ponさん、そうですよね、ノーノ―!です。
でも多くの人が服従の道を選んでいるように見えてしょうがないのです。
アベが小学校道徳の教科書に載っているってんですから!
Commented by saheizi-inokori at 2017-06-22 00:07
> たまさん、紫陽花の種類が増えたような気がします。
園芸品種ってのは流行るとあっという間に席巻しますね。
そういえばナメクジをみなくなったなあ、カタツムリも。
Commented by j-garden-hirasato at 2017-06-22 06:42
何に服従するのか、
真剣に考えないとねえ。
Commented by saheizi-inokori at 2017-06-22 08:06
> j-garden-hirasatoさん、服従なんてしなくてもいいのではないでしょうか。
誰に対しても。
Commented by cocomerita at 2017-06-22 16:25
ciao saheiziさん
別に政府などの権力者側からの服従でなくても、世界には服従が満ち溢れていませんか?
そして安倍は、と言ってる人たちの中にも、ちっちゃな服従は存在します
例えば子供の言い分も聞かず、子供に言うことを聞きなさいとただ強制し 、大事な子供の時期を受験勉強に没頭させる親たち
自分のいい加減さは、さっさと横に置いて大事な繊細な側面は無視して、工夫も凝らさずマニュアル通りの面白くもない授業をして、威張りちらすだけの教師たち
作業をしてもらっているその対価であるはずのお給料 であるにも関わらず、雇ってやってるとこき使う経営者
そういう普通の従属を私たちは誰かに強いていないか?と
そういう普通の服従を見逃してはいないか?と 問うところから社会は変わっていくと 思っています
安倍さんを倒せば それで社会は一変。などしません
その土壌を作っているのは 庶民たちなのだから、
Commented by cocomerita at 2017-06-22 16:26
すみません 途中で流れてしまいました

自由が欲しければ 他人の自由を認めないといけないと思うのです
それが真の自由であると。
Commented by saheizi-inokori at 2017-06-22 20:54
> cocomeritaさん、この「服従」という小説でいう服従は他人の自由を認めるものではないですね。
安倍政権を打倒しても世の中は変わらないかもしれないです。
多くの人が、自分の自由すら大事にせず、まして他人の自由のことなんか考えもしない、そういうところに安倍たちが乗じてやりたい放題をしている、そんな安倍の自由は認められません。
Commented by cocomerita at 2017-06-22 21:45
どんな類のものであれ、服従と発音した時店で。そこに自由の存在できるスペースはないように思います。
そして自由とは 他人の服従や非自由の上に成り立つものではない。
ですから 安倍さんのあの行動をとてもじゃあないけど彼の自由とは認められません
ただ私の言いたかったことは、服従と言って 大きな括りの、つまり権力と力 地位を自由に行使できる権力者と対市民 の間に存在するものを弾劾するのじゃく、ちっちゃい服従もあちらこちらにあるという事。
そういうのは、私たちが気づき 望みさえすれば、個人の手で簡単に失くせることができるということです。
Commented by saheizi-inokori at 2017-06-23 09:29
> cocomeritaさん、そうですね。
私が紹介した小説ではフランス(ヨーロッパ)の人たちが自ら何かに服従することを望み(潜在的に?)そうなることで安心している、そういう状況をインテリがやすやすと受け入れているといってるようです。
それほどヨーロッパの活力が失われたと。
家父長制への回帰なんてのはちっちゃい服従なのかなあ。
権力と市民の間の支配服従関係を弾劾克服することが小さな服従状況を打破することにつながる場合もままありそうです。
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by saheizi-inokori | 2017-06-21 11:45 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(11)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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