日本橋で喜多八・佐平次を視た 白酒・甚語楼ふたり会@お江戸日本橋亭
2017年 05月 29日
友人が行けなくなったのでピンチヒッターなのだ。
会場のお江戸日本橋亭までは田園都市線なら44分、日比谷線で遠回りをして八丁堀あたりの銭湯に入ってリフレッシュしてから行こうと思った。
読みかけの本を二冊読み切って、シーツやホーフを洗濯したのでベッドセットをして大量の洗濯物も取り込んでいかないと義母の見舞いから帰ったカミさんが大変だ。
バタバタして、さあ、出ようと思ったら自然の呼び声(古いね)、やってきたバスに乗ろうと赤信号を横切ると自転車に乗った高校生たちが「あぶね~」、でも乗り遅れ。
次のバスだとどうも銭湯は無理、かといって最短距離を行けば早すぎる、家に戻るにも中途半端、せっかく諦めて静かになったサンチが吠える。
まあ、時間が余ったら余ったで、とそのまま遠回りルートで恵比寿に向かう。
小伝馬町で降りて開演時間には早すぎると思いつつも会場につくと、結果オーライ、すでに長い列ができている。
開口一番は、ひしもち「転失気」、ときどき意味なく(あるのかな)大きな声をあげる。
ついで白酒「四段目」
予約券2000円、当日券2500円、その2500円はお釣りが面倒だから2300円を切り上げたのだが、不手際で2300円という案内も残ってしまった、要は予約してきてくれということなんです、この会はふたり会でありながら寄席のユルサをめざしている、今日は北鎌倉のお寺で演って来た、チケットの取りにくい噺家なんてじっさいはいない、大相撲をみる外国人の戯画、、いろいろ話題が飛んで、うけているのだが老人には聞き取りにくい早口の接続語や頻発する「~みたい」という、その「~」のことを知らない・聞こえないから笑えない。
長めのマクラのあとの本題は、さぼって好きな芝居を観てきた定吉が優しい旦那の”厳しい”追及に出鱈目の言い訳の嘘を暴かれ、その反応がいちいちおかしい。
伊勢屋さんの蔵の掃除を手伝ったそのあと伊勢屋さんと一緒でした、「いままで伊勢屋さんはここにいたんだぞ」おやまあ!、そのオヤマアのおかしさ。
蔵に閉じ込められて空腹を宥めながら「四段目」の芝居語り。
去年、忠臣蔵の通しを歌舞伎と文楽の両方で観てよかった。
落語の面白さが深まった(大袈裟だけど)。
ふつうのしゃべり方で何気なくしゃべるマクラ、大江戸線の駅の近くでいつも出る客引き「お遊びいかがですか」のこと、菊之丞は(ああ見えて)タンカを切って追いやったけれど自分は(こう見えて)気が弱いからそんなことできない、この間なんか耳元で「ルーマニア」って、あれはいったいなんでしょうね。
客引きをマクラに振って本題の提灯屋の撒いたチラシにつながる。
町内の若者がそろいもそろってオール無筆、チラシの字体をみて鰻屋ならもっとぬらぬら長い字じゃあねえか、とか「うん、これはまちげえなく広告だ、そうだな、そう思わねえ奴がいたら前ィでろ、満場一致で広告だな」なんていばってみたり、チンドン屋が配ったチラシだもの広告に決まってらい。
「書けない紋があったら提灯一個を無料で差し上げる」という惹句を隠居に読んでもらって若者は入れ替わり立ち替わり、わけのわからない謎かけで提灯をせしめる。
隠居がそれを見て、「お前たちは外に出るとろくなことォしねえから、部屋の中で固まっていろ、と思ったのに、また悪いことをしやがる」
面白いけれど少し重たく(くどく)感じたのは、こちらが草臥れていたからか。
甚語楼「夢の酒」
ここ数日、急にカミさんの機嫌が悪い。
その訳がさっき楽屋で分かりました。
カミさんの誕生日が今日か昨日か、のような気がする。
「ケーキをもらいました」というから「ほ~、明日食えるな」とくらいに聞いていた、あれから特に機嫌が悪くなりました。
というわけで今日はお軽いところで失礼して打ち上げをやらずまっすぐ帰らせていただきます。
お客さんをしくじっても何とかなりますが、カミさんをしくじるとおしまいですから。
これも本題のヤキモチ妬きの嫁さん・お花につながる。
夢のなかで、なんとも言えない美人の新造に酒を飲まされ、あまつさえ同衾という破廉恥な事態に相成った夫(ぬけぬけとそういう夢のディテイルを語るのよ)に悋気して大泣き、宥める義父に夫の夢のなかに戻って新造に意見してくれという。
どうせなら晋三に意見してほしいとぼくは思うけれど。
歓待されて酒を飲むのに、冷やよりも燗でと燗を待つ間に起こされて「ああ、冷やでもよかった」。
お軽くてもこっちの方が面白かった。
白酒「居残り佐平次」
ぼくを主人公にする以上はいい加減な噺では許さない。
こわもてで怒鳴り込むギユウに「お、どちらのお役者で」とツッコミ思わず見栄を切らせる、床の間から登場するイノさん(改築しやがった!)、、テンポよく大いに笑わせた。
でもなにか物足らないのは佐平次に影が見当たらない。
それにつけても喜多八の最後に見た佐平次を思い出す。
「心を鬼にしてまっつぐ帰宅する佐平次の足音が日本橋の
ペーヴメントに響くのであった。」
「佐川になるな 前川になれ」
霞ヶ関に、この言葉が飛び交っているという
これも いいじゃあ-りませんか。
=前川氏の先輩・森脇研Twitter=
最近ずーっと当たっていません。