泣きながら聴きました ボニージャックス「空とぶうさぎ―車椅子のおしゃべりー」
2017年 05月 03日
木陰の道を選びたくなるような日差しです。
笑い声が聞こえたような気がしました。
仲間外れの子はいないかな。
みんなが集まるのです。
ぼくが「ぼくならきっと」という詩は筋ジスと知恵遅れが重なっていた久保田茂君、「とても素直で明るく、いい子だったんですが、、、」という先生の言葉。
体が不自由なのは
神様が
ぼくならきっと
苦しみに
たえられるから
と思ったからだ
ぼくは神様に
選ばれたのだ
ゆき脳性麻痺の井手和也君は九年というみじかい生涯だったがこんな美しい言葉を遺してくれました。
雪はなぜ 白いのかな
ぼくね かんがえた
わかった
マリアさまの心から
落ちているのかな
いよいよ臨終の迫ったとき、苦しい息の下から、お母さんに抱いて欲しいと、しきりに訴えました。お母さんがしっかりと胸に抱きしめてやると、それはそれは美しくにっこり笑い、笑顔のまま息を引きとりました。施設のシスターからボニージャックスに届いた手紙の一節です。
両手ですくってみたら脳性麻痺の小林優子さんは、この詩を書いてから「長い月日が流れ、さびしさの色合いも変わりましたが、さびしさはいまもまだ私の分身です」という手紙をくれたそうですが、この詩のレコード吹き込みの話に、先生が弾んだ声で「優子さんはね、今ではね小林さんではなくて、青木優子さんになられたんですよ。ご主人と同じ悩みを分ちあいながら、とっても幸せな毎日を過ごしていらっしゃいます」と返してくれた由。
さびしさを
両手ですくって
心の中を のぞいてみたら
残っているのは かすばかり
捨てようとした寂しさを
そっともどして あげました
私の大事な 分身です
CDの絵は重度の脳性麻痺の中島幸代君が、唯一自由の利く左足の指に絵筆をはさんで描いたそうです。
写真は10歳で進行性筋ジストロフィー症と診断された深町文雄君が18年間施設の仲間たちを撮り続けた一枚。
今の憲法で最も重要な条文、それは第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。戦争になったら天皇のためにわが身を捧げよという教育勅語の精神とは真反対の精神です。
これは泣けますねー 内容聞いちゃった・・・・
このCD聴きたいけれど 聴けないよー
なんて綺麗な心持ちなんでしょう
可愛くなったでしょうと言わんばかりのサンちゃん
ホント可愛い!!
貴い心の持ち主達に胸を打たれました。
サンチちゃんの愛らしい目が、潤んでいるように見えますね
仰る通り、肝はここですね
= すべて国民は、「個人として」尊重される =
アベの偏執と狂気は、何処まで爆走か?
案外、個人的なファクターで一気に逆回転が起こる?
根拠のない願い幻想といわれそうでもありますが
ラジオで聴いた「風のメルヘン」もよかったのですが、CDの解説を読んだらたまらなくなりました。
予防注射のためにトリミングに行けなかったサンチは狸のようにけもじゃもじゃだったのですが、すっかりガリガリになってしまいました。
二回生代議士たちの醜態は偶然ではなくて、あんな連中が送り出される世の中になってしまったということ。
腰を据えて頑張らなくては、と思います。
憲法記念日がなくなってしまうんじゃないかと心配です。
私の名前には「平和」が入っているのです。なくしてなるものか。
↓の記事のことでごめんなさい、竹宮恵子、懐かしいです。クラスで回し読みしました。萩尾望都はほとんど買って持っていました。
あの頃の少女漫画家は物凄い人たちがたくさんいました。
70年代を思春期から中学、高校と過ごした私は大変な影響を受けました。
素晴らしいイメージですね。感動しました。
それに引きかえ、うちの安倍マリアの腹ン中から落ちてくる雪は、なにやら、どす黒い血の色が混ざっているようです。
潤んでしまいます。
平和を守るために負けないで頑張りましょう。
高等教育無償化なんておためごかしを言う前に現行憲法でも、たとえば障害のある人を見守ることとかやることがたくさんあります。
ガリガリサンチ、小さくなったように見えます。