原子力緊急事態宣言いまだ解除されず
2017年 03月 13日
避難解除で故郷に帰ろうとする人と帰らない人、原発再稼働に反対する人と推進する人、、原発崩壊は日本を分断しつつある。
トルコとオランダ・ドイツ、トランプ支持者と反対派、移民を受け入れる人とそうじゃない人、朴槿恵を拒否する人と支持する人、、毎朝報じられるニュースは世界が分断されつつあることを明らかにする。
分断を止めることなんか無理・無意味なのかもしれない。
なんとか話し合いで仲良く、、といっても、生活が命がかかっている。
話し合いで解決ができないから、亀裂が生じて、それを修復しようとするリーダーがいなかったから亀裂は拡がって今や破裂寸前なのだ。
なにより腹が立つのは意図的に亀裂をつくり、その拡大に乗じて権力や富を得ようとした・しているリーダーたちの存在だ。
アベ、トランプ、ルペン、、政治家ばかりじゃない、経営者やメデイアもそうだ。
現状維持と自己保身が亀裂を大きくしている。
ぼくたちはもっと大きな声をあげるべきではないか。
それによりいったんは亀裂が大きくなっても。
しかし変り目といったところで、新聞に新内閣(芦田内閣)成立が報ぜられているだけのことで、一般の人たちにはそれは一つの新聞記事にしかすぎぬものだろう。新聞を読むまえと読んだ後で通行人の歩き方が変わるのでもなければ、混雑するターミナルステーションの雑踏のなかで何か騒ぎが起こるわけでもない。日本は植民地になったことがないから、かくも大人しいのか。
朝鮮とは違うのだ、朝鮮人は日本人に比べれば政治的民族ともいうべきで、”政治”に沸く。植民地時代に抑えられ沈黙させられてきたからこそ、沸く。政治が熱気や冷気の波動のようにひしひしと打ってくるのをその皮膚感覚はそらすことができない。(金石範「火山島」から)
天照大神が岩穴に隠れて真っ暗になったときにアメノウズメのストリップで問題解決をしたという成功体験が今に生きているのだろうか。
教育勅語の何が、どこがいけないのか、稲田発言を見過ごすことは放射能汚染の去らない故郷に子供たちを送り出すようなものであることを眦を決して啓蒙・訴求しなければ、なにがジャーナリズムだ。
やらなきゃやらないで、メデイアの方から権力の不作為・ごまかしによってフクシマがアンダーコントロールにあるどころか、日本沈没の瀬戸際にあることを徹底的に暴いて、どうか釈明のために記者会見をやらせてくれと、頼んでくるほどに追求したらいいじゃないか。
「花は咲く」を流してタレントたちに支援という現地訪問、それに毛が生えた程度の微温的現地リポートでごまかしてはならない。
6年経ったということはそれだけの追及材料も蓄えてあるはず・べきなのだ。
このままでは震災報道自体やあべ友学園問題報道が、共謀罪・フクシマ・沖縄の問題隠しとなってしまうのではないか。
背後にそういう権力・メデイアの共謀があったのかと思うほどだ。
しかし、籠池理事長の記者会見を見ていると、
人としての程度の低さ、品の無さ、頭の悪さに、呆れました。
日本会議って、あの程度なのか、と。
右翼の劣化に、同情してしまいそうです…
昨日の「就職が決まって髪を切ってきた時、もう若くないさと君に言い訳したね。」というのは、荒井由美の作詞作曲でバンバンというフォークグループが歌っていた「『いちご白書』をもう一度」という歌です。(「いちご白書」はアメリカの学園紛争をテーマにした映画)
その頃すでに付き合っていた夫は、長かった髪を切りスーツ姿で就職活動をする自分とこの歌の主人公とを重ね合せてはよく歌っていました。昨日の芝居の時代と私(たち)の学生時代はほとんど重なっていて、この歌を思い出した次第です。
〝ばんばひろふみ「いちご白書をもう一度」″で検索すると聴くことが出来ますよ。
そういうのが教育に携わるだの総理大臣夫妻だの稲田だとのとつるんでいるのが不思議な国、、でもないか、困ったことに。
「いちご白書」は名前だけ知っていました。
爆発しても 世間は???って
自分の事として考えてくれたらいいのですが
本当におとなしいですねー 神国ってのが遺伝子にあるのでしょうか
気が付いたときにはどうにもならなくなっていた
あの頃は平和だった なんてことにならないようにしなければ
今の大人たちの責任ですよね