志ん輔の「火焔太鼓」が好い音で鳴りますように 志ん朝の仲間たち「まわりまわって古今亭志ん朝」
2017年 02月 28日
変な奴がおりまして、13年前の雪の降る日だったそうですが、朝早くうちの親父のところ(志ん生@日暮里)の戸をドンドン叩いて、姉さんを起こす者がいる。出てみると、入門者。あまりの早さに追い払うと、あくる日も同じ時刻に、ドンドン。翌日からは、親父の末弟子、志ん三(現在うちの総領弟子、志ん五、2010年死去)が受け付けに。これもねばられて、とうとううちの住所を教えると、神楽坂の私の家の戸を同じ時刻に、ドンドン。うちのカミさんが寝不足になってヒステリーを起こしても…ドンドン。何週間か続いてあきらめたのか、今度は昼頃、待ち伏せ。私が出ていくと、それらしいのがウロチョロ。近づいて行くと、電柱の陰にパッとかくれる。図々しいのか、臆病なのか、はっきり分らぬうちに入門。1985年9月、志ん輔が真打になるときの師匠・志ん朝の口上全文だ。
さて、この度、古今亭朝太儀、お席亭各位、並びに、落語協会理事のお認めを頂き、真打昇進の運びと相成りました。未熟者ではございますが、皆様の御力添えを頂き、大看板になれます様、お願い申し上げます。
その最後に志ん朝の弟子たち、志ん橋、八朝、志ん輔、才賀、右朝、志ん上、志ん馬の真打披露口上が載っている(総領の志ん五の記録だけがない)。
どの弟子に対しても、その人柄をよく見て適切な紹介をしているのだが、中で上に書いた志ん輔に対する口上が型破りなのだ。
25日に行った落語研究会にその志ん輔は亡き師匠と大師匠・志ん生の十八番「火焔太鼓」をやった。
そのときのパンフレットに志ん輔と落語の出会いが書いてある。
高校二年生のときに上級生からもらったチケットで行った落語会で志ん朝の「火焔太鼓」を聴いて
全身の震えが止まらなくなった。と。
「こんなに凄いことができるなら、俺は落語家になりたい」
志ん朝・志ん生の名前も知らなかった高校生はこうして、ドンドン戸を叩き続けることになったのだ。
志ん生の「火焔太鼓」は志ん生という破天荒な人生を送った天才がなおも努力を重ねて、彼でなければできない噺にして、その息子もまた、血のにじむような努力をして親父とは違う素晴らしい噺にした。
https://youtu.be/uqJa_EhMAWA
45年前に志ん朝の家の戸を叩き続けた気迫でなんとか志ん輔の「火焔太鼓」を完成してほしいと思っている。
ぼくはこの噺が好きなのだ。
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hanamomo08 at 2017-02-28 23:07
志ん輔さん がんばれ!って応援したいですね。
暮れに談春の芝浜を聴いて そのあと師匠である談志の芝浜をラジオで聴きました。
同じ話でも表現が違うものですね~。
どちらもすばらしい役者だな~と思いました。
暮れに談春の芝浜を聴いて そのあと師匠である談志の芝浜をラジオで聴きました。
同じ話でも表現が違うものですね~。
どちらもすばらしい役者だな~と思いました。
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j-garden-hirasato at 2017-03-01 06:36
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福
at 2017-03-01 06:51
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saheizi-inokori at 2017-03-01 10:33
> hanamomo08さん、同じ噺家が同じ噺をしてもその都度と言ってもいいくらい違って聞えます。
ライブの寄席が楽しいのはそれもありますね。
談春は落語というより新劇みたいで、ほんとに「すばらしい役者」で今最も切符が取れない人です。
私はもう少し軽い想像力に委ねるようなやり方が好きなんですよ。
ライブの寄席が楽しいのはそれもありますね。
談春は落語というより新劇みたいで、ほんとに「すばらしい役者」で今最も切符が取れない人です。
私はもう少し軽い想像力に委ねるようなやり方が好きなんですよ。
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saheizi-inokori at 2017-03-01 10:33
> j-garden-hirasatoさん、それが生き甲斐、修行は辛くてもしあわせな事でしょうね。
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saheizi-inokori at 2017-03-01 10:36
by saheizi-inokori
| 2017-02-28 12:34
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(6)