大西巨人を学ぶ HOWS文化講座「俗情に抗する精神ーいま大西巨人を読む」
2017年 02月 27日
きのうは東京マラソンに出場、、ではなくて本郷で「俗情に抗する精神ーいま大西巨人を読む」という講座を聴きに行った。
3時間、頭のマラソンだ。
会場はさかえビル、なかなかいい味を出しているビル、こんなドアを開けて入るのだ。
そしてすり減った石の階段を上っていく。
主催はHOWS文化講座、二十人くらいが四角に並べられた机に思い思いに席をとる。
田代ゆき(福岡市文学館嘱託員)が、その席から座ったまま早口で「中野重治『雨の降る品川駅』」だとか「日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾」、「ポストコロニアル」、、どうやらたくさん配られた資料のどこかについて説明しているらしいが、それが見つからないせいもあってついていけなかったが、やがて少しづつわかる部分も出てきた。
74年の朝日ジャーナルに載った大西巨人「分断せられた多数者」。
「少数者」というときに進取的・民主主義的な人々は、被支配階級一般のことを考えていずに、被差別部落民、障害者、被原爆者、在日朝鮮人、アイヌ、一定農民、一定職業人などの特定部分を考えている。
プチブル的連帯なんかあり得ないと言われたらそれまでだけれど。
(赤門前)
山口直孝(二松學舍大学教員)は、「超越的なるものの峻拒―大西巨人におけるソレル『暴力論』の受容と初期批評の論理」。
大西巨人亡きあと、故人の一万点を超える蔵書の整理が研究の柱の由。
博覧強記の大西は貧窮でもあったから蔵書を売って飯のタネにすることも多かったけれど、そのなかで自分の印鑑を押してある本は売らないと決意した本、自装もして愛蔵していた。
これらの本の線引き箇所や付箋のあるところを、時には自分の本にその通りにコピーして大西の思考のあとを追う。
ソレル「暴力論」を上下二冊合本にして表紙も自装し、みっしり付箋がついて線引きがある、実物を皆に回して見せてもらって、大西巨人に触れた。
山口は大学の先生だけあってゆっくりした語りで、大西巨人=「神聖喜劇」にとって「暴力論」がどういう意味を持ったか、同世代の文学者(福田恆存・荒正人・石川達三)を批判するときにソレルに言及したこと、大西のソレル批判、、などを経て「神聖喜劇」の最終(1970年代に書かれた)において非暴力主義・英雄否定・観念論の克服に到達し得たことなど、これもわかったようでわからないままに面白く聞かせてもらった。
質疑討論の時間に残らなかったのは、ぼくにはレベルが高すぎるような気がしたのと、久しぶりに本郷の町を歩いてみたかったから。
東大の病院側から構内に入ると、おりしも入学試験。
三四郎池など構内は立ち入り禁止だったが、弥生門に通り抜けると言ったら通してくれた。
でもズルをして正門から出ると驚くべきことにたくさんの受験生の家族がいる。
3時間、頭のマラソンだ。
田代ゆき(福岡市文学館嘱託員)が、その席から座ったまま早口で「中野重治『雨の降る品川駅』」だとか「日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾」、「ポストコロニアル」、、どうやらたくさん配られた資料のどこかについて説明しているらしいが、それが見つからないせいもあってついていけなかったが、やがて少しづつわかる部分も出てきた。
74年の朝日ジャーナルに載った大西巨人「分断せられた多数者」。
「少数者」というときに進取的・民主主義的な人々は、被支配階級一般のことを考えていずに、被差別部落民、障害者、被原爆者、在日朝鮮人、アイヌ、一定農民、一定職業人などの特定部分を考えている。
「支配せられる多数者」すなわち被支配階級の各部分は、すべていずれも多かれ少なかれ(程度・態様の相違はあれ)差別せられ抑圧せられ非力化せられているのである。階級意識というから引いてしまうのかもしれないが、要するに1%に対して99%は連帯しよう、と僕は理解する、あえて。
その「程度・態様の相違」こそは、被支配階級にたいする支配階級の一つの最も好都合な付け目だ。
支配階級は、本来的・実質的「多数者」たる被支配階級の現実的・能動的「多数者」化ならびに「多力者」化を阻止するべく全力的に対処する。
プチブル的連帯なんかあり得ないと言われたらそれまでだけれど。
山口直孝(二松學舍大学教員)は、「超越的なるものの峻拒―大西巨人におけるソレル『暴力論』の受容と初期批評の論理」。
大西巨人亡きあと、故人の一万点を超える蔵書の整理が研究の柱の由。
博覧強記の大西は貧窮でもあったから蔵書を売って飯のタネにすることも多かったけれど、そのなかで自分の印鑑を押してある本は売らないと決意した本、自装もして愛蔵していた。
これらの本の線引き箇所や付箋のあるところを、時には自分の本にその通りにコピーして大西の思考のあとを追う。
ソレル「暴力論」を上下二冊合本にして表紙も自装し、みっしり付箋がついて線引きがある、実物を皆に回して見せてもらって、大西巨人に触れた。
山口は大学の先生だけあってゆっくりした語りで、大西巨人=「神聖喜劇」にとって「暴力論」がどういう意味を持ったか、同世代の文学者(福田恆存・荒正人・石川達三)を批判するときにソレルに言及したこと、大西のソレル批判、、などを経て「神聖喜劇」の最終(1970年代に書かれた)において非暴力主義・英雄否定・観念論の克服に到達し得たことなど、これもわかったようでわからないままに面白く聞かせてもらった。
東大の病院側から構内に入ると、おりしも入学試験。
三四郎池など構内は立ち入り禁止だったが、弥生門に通り抜けると言ったら通してくれた。
でもズルをして正門から出ると驚くべきことにたくさんの受験生の家族がいる。
これじやあなかなか俗情に抗する精神を期待できそうもないなあ。
本郷通りの古本屋はみんな休み、適当な小道を右に曲がってダラダラ歩いて行く。
金魚坂を下りると菊坂。
宮沢賢治の旧居跡や樋口一葉ゆかりの伊勢屋質店などを愛おしく見ながらぶらりぶらり歩くのはいいもんだ。
菊水湯を見て、と思ったが廃業していることを思いだした。
勉強会で酔流亭さんに逢った。
かつて毎日のようにコメントのやり取りをしていたブログ仲間だ。
夜、ブログを覗いたら、当時ブログ仲間のマドンナみたいな存在だったsakuraasakoさんのことを書いてらして、とても懐かしかった。
けさの記事ではこの講座と僕のことも書いてくださって、なんだかうれしい。
ブログを始めた頃、多くの方とコメントのやり取りが活発で、面白い噺になるとコメント欄が延々と続き、ぼくはそれを「フンドシ」と言って愉しんだ丁々発止。
相手変われど主変わらず、ぼくはこうしてマンネリブログを続けているけれど、皆さんはさてどうしておられるやら、お元気でいらっしゃることを願います。
本郷通りの古本屋はみんな休み、適当な小道を右に曲がってダラダラ歩いて行く。
菊水湯を見て、と思ったが廃業していることを思いだした。
かつて毎日のようにコメントのやり取りをしていたブログ仲間だ。
夜、ブログを覗いたら、当時ブログ仲間のマドンナみたいな存在だったsakuraasakoさんのことを書いてらして、とても懐かしかった。
けさの記事ではこの講座と僕のことも書いてくださって、なんだかうれしい。
ブログを始めた頃、多くの方とコメントのやり取りが活発で、面白い噺になるとコメント欄が延々と続き、ぼくはそれを「フンドシ」と言って愉しんだ丁々発止。
相手変われど主変わらず、ぼくはこうしてマンネリブログを続けているけれど、皆さんはさてどうしておられるやら、お元気でいらっしゃることを願います。
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c-khan7 at 2017-02-27 14:10
いつも内容の濃いブログを続けられて!!スゴイなぁ~と感心しています。昔の仲間も良いですね。
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saheizi-inokori at 2017-02-27 14:19
c-khan7 さん、オフ会などもやったのでした。
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reikogogogo at 2017-02-27 22:34
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saheizi-inokori at 2017-02-27 23:09
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j-garden-hirasato at 2017-02-28 06:34
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suiryutei at 2017-02-28 08:16
「要するに1%に対して99%は連帯しようでいいのではないか」と私も思います。
大西巨人の本は難しそうで読んだことがありません。金田法相じゃないけれど「私の頭脳の問題で対応でき」なさそうです。
大西巨人の本は難しそうで読んだことがありません。金田法相じゃないけれど「私の頭脳の問題で対応でき」なさそうです。
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saheizi-inokori at 2017-02-28 15:44
> j-garden-hirasatoさん、会場で自販機ないですか、と尋ねたら、下のコンビニでと言われました。文京区の保存建築だとか。
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saheizi-inokori at 2017-02-28 15:46
> suiryuteiさん、ほろ苦い、甘酸っぱい思い出です。
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saheizi-inokori at 2017-02-28 15:47
by saheizi-inokori
| 2017-02-27 12:48
| こんなところがあったよ
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