我は神の子光の子 早く宇宙になりてえな 関容子「勘三郎伝説」
2017年 02月 23日
大人を過ぎてじじいになっているのに素敵とはほど遠いなあ。
と、東京新聞の一面「五輪分担 未7500億円」。
大人にもなっていないのは、組織委、スポーツ関連団体、政治家、、エラそうな連中みんなそうだ。
ちょっとほっとした反面、無性に腹が立ってきた。
俺が素敵じゃないのはお前たちみたい人に迷惑をかけちゃいないぞ、そんな金俺は払わねえぞ!
こんなに怒ったりして、やっぱり僕はまだ幼いのだ。
さいしょのうちは関容子があまりにも自分と勘三郎の親密な仲を誇示するように思えていささか鼻白んだが、それでも読んで行くと、勘三郎の素晴らしさ、それは歌舞伎の舞台における天才というだけでなく、彼を取り巻く人々(たとえば丸谷才一、太地喜和子、海老蔵、仁左衛門、、そして名もなき人々)との交友の素晴らしさを引き出す人間的な魅力、そして悔しいけれど関容子の筆力に負けてしまった。
親の天才を受け継いだ御曹司、親をしのがんばかりの天才、人たらし、後輩を育てるのに真剣、みんなに好かれて惜しまれて夭折、明るくものにこだわらないが細部にも行き届いた目配りをする、というようなことモロモロが、志ん朝のイメージとだぶってきた(志ん朝の伝記を読んだことはないのだが)。
それで志ん朝や歌舞伎俳優がよく来るという「球磨川」の親方の話を聞きたくなって暖簾をくぐったのだった。
志ん朝は役者になりたかったけれど、「とうちゃん」にとめられたのだ。
「球磨川」の親方が、しつけという意味では勘三郎の方がはるかに厳しく育てられて、志ん朝はその点は、、と言っていたのが彷彿。
歌舞伎役者の素晴らしさは、その舞台をじかに観なければわからない。
どんなに会心の舞台であってもそれを知るのはそのときの観客だけ、そのことを勘三郎は口惜しがっている。
それだけにそのときの観客を誠心誠意、全身全霊をもって虜にしようと尽したのだろう。
勘三郎の訃報に勘三郎の舞台に親しんだ讃岐・地元の人々が連日金丸座に長い行列を作って線香を手向けたという話には泣けた。
早世は惜しんでも余りあるけれど、役者冥利をたんとたんと味わって幸せな人だったと思う。
串田和美(シアターコクーンで彼の演出した「三人吉三」を観た)の「魔神遁走曲」で吉田日出子が白い鹿の化身として歌った歌の歌詞があまりにも中村屋にぴったりで、ゾクゾクしたあと茫然となった、と関は書いている。
天津雲居の天界の、勘三郎、今頃は発見されたという七つの惑星のどこかで踊っているのかもしれない。
我は神の子、光の子
星の行方を 追いかけて
早く光になりてえな
とどろく雲居の天上の、
我は神の子、煙の子
遠い青空眺めてりゃ、
早く煙になりてえな
はるか雲居の天空の、
我は神の子、宇宙の子
渦巻く無限にただよって、
早く宇宙になりてえな
文藝春秋
こんなに怒ったりして、やっぱり僕はまだ幼いのだ。」
幼いままの方が正しい。オリンピックなんぞやってる場合か!と思います。
お誕生日おめでとうございますって…どうおめでたいのか知りまへんが…一応区切りですから。それにこんなにたくさんの感慨をいただいてるのに知らんそぶりして通り過ぎるのは不義理というもの。いつもありがとうございます。
あまりたいそうに言いとうないけど私も一月後には『古来稀!』、観念して次のステージへ進まねば。
3年に1回ぐらいなら、というのに思わず笑ってしまいました。
佐平次さんは素敵な大人です。
「自分のルール おしつけない」にわたしはドキリとしました。反省。
自分のルール、知らないうちに押しつけていることがあります。
ある人にとってはあたり前のことがほかの人には理解できなかったり、そうすることがとても嫌な決まりってありますね。
鍋奉行なんていうのは愛敬がありますが^^。
コンパクトとかなんだとかいってくせに、節度がなさすぎます。
駄々っ子が泣きわめいてあれも欲しいこれも欲しいという騒ぎ。
キンキンキンメダルもあまり度を超すとスポーツそのものが白けて感じられます。
ますます五輪が嫌いになってきました。
日本人、勝手にしやがれ!と言いたいくらいです。