言葉が聴き取れなくても能はすばらしい 「八島」&「謡講についてのおはなし」@国立能楽堂

日が暮れた京都の町家から低い謡の声が聞えてくる。
同好の人たちが集まって素謡を愉しむ”謡講”、月並み会と称して月に一度門に提灯を下げてあるから誰でも入ってよかったという。
入場無料、でも酒樽をさげていく、「出樽」、シュッソンといわずシュッタルというのは、損が出るのを忌んだから。
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300年も続いていったん途絶えていたものを15年ほど前に復活したと話す京観世の井上裕久。
謡い手は障子の陰で姿を見せずに謡う。
強吟を二段下ゲで弱く謡うのはご近所への配慮、といって「盛久」の一節を普通の謡い方と二段下ゲで謡って聞かせる。
微々とした節遣い。

終わっても拍手をせずに小さな声で「よっ!」という、それもご近所対策。
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(舞台正面に障子の置物、この陰で謡う)

往時は謡が庶民の間に定着していたから、謡を使って尻取りとか「のもかまわし(の・も・か、を口にすると罰ゲーム、一杯飲まされる、わざと間違えたい)」とか、工夫して遊んだ。
その一例で「五目謡」、「高砂」から「通小町」まで七つの謡を尻取りのようにつないで謡ってみせたり、「熊野」の一部、都を牛車で行く部分を、電気を落として想像力を働かせて聴く。
道中言い立て、音羽の山桜、四条五条の橋の上、車大路や六波羅の地蔵堂、愛宕の寺、六道の辻、、。
井上裕久、吉浪壽晃、浦部幸裕の三人の謡が滔々と流れる、牛車の車輪がゆっくりゆっくり回って都大路や東山も流れていく。

国立能楽堂、企画公演「蝋燭の灯りによる」、井上裕久「おはなし 庶民のたのしみー謡講ー」が、なかなか楽しかった。
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能「八島」

友枝昭世が病気欠演は心配なことであり、はなはだ残念無念であるが、それでもこの地謡のメンバーの豪華なこと。
世阿弥の修羅物の傑作といわれる「八島」も蝋燭の灯りのみで。

義経の幽霊が舞うところなど雰囲気がでていいのだが、名文の誉れ高い最後のシテ(義経・香川靖嗣)と地謡の掛け合い、
シテ「今日の修羅の敵は誰そ、なに能登の守教経とや、あらものものしや手並みは知りぬ、思ひぞ出る壇の浦の、
地謡「その舟戦今ははや、その舟戦今ははや、閻浮に帰る生き死にの、海山一同に震動して、舟よりは鬨の声、
シテ「陸(くが)には波の楯
地謡「月に白むは
シテ「剣の光
地謡「潮(うしお)に映るは
シテ「兜の星の影
地謡「水や空、空行くもまた雲の波の、打ち合ひ刺し違ふる、舟戦の駆け引き、浮き沈むとせしほどに、敵と見えしは群れゐる鷗、鬨の声と聞こえしは、浦風なりけり高松の、浦風なりけり高松の、朝嵐とぞなりにける。
を始め、多くの謡いが聴き取れなかった。
いつもは電気がついて座席の前のデスプレイに詞章が映るので、ちらっと見れば、ああこう言ってるのか、とわかるのだが。
「らっくわえだにかえらず はきょうふたたびてらさず しかれどもなおもうしゅうのしんにとて きしんこんぱくのきょうがいにかえり」なんてのを「落花枝に帰らず、破鏡再び照らさず、しかれどもなお妄執の瞋恚とて、鬼神魂魄の境界に帰り」と聞きなす力はないのです。
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謡の大事なところは分からなかったが、扱っている素材が壇ノ浦の戦い、那須与一、弓流しで、やっていることは分かり、何よりも舞う姿にうっとりする。
言葉の端々は分からなくとも義経が獅子奮迅、戦う雄姿には心が踊る。

アイで三宅右近が、「那須与市語」を登場人物それぞれの場所を変えて迫力満点に語る。
野太い声で大きな体は青年のようだが、まもなく75歳、さすがにハアと息を弾ませていたがそれも演技としてもおかしくはない状況だ。


若い頃、宴会でよくみんなで唄った佐渡の民謡。
勇ましくて酒がすすんだ。
義経は佐渡に直接関係はないけれど、、日本人の情報伝播は民謡や義太夫、講談、落語によって行われたのだね。
FBよりずっと味があるな。

ワキ(旅の僧・宝生欣也)シテツレ(佐々木多門)
笛・松田弘之 小鼓・鵜澤洋太郎 大鼓・亀井忠雄

Commented by hanamomo08 at 2017-02-19 20:48
青空に映える黄色いミモザの花。
イタリアでは3月初め女性にこの花を贈る習慣があるようですね。
秋田では育たない花だから余計憧れます。
Commented by saheizi-inokori at 2017-02-19 21:59
> hanamomo08さん、このミモザはわがマンションにあります。
でも目立たないところにあるので散歩の途中で見るミモザの方を写真に撮る、それで焼きもちを焼いたらしくて急に花盛りになりました。

Commented by ginsuisen at 2017-02-20 00:16 x
えっ、病気欠演。心配!
でも、いい会だったのですね、なかなかいけなくて・・
Commented by sweetmitsuki at 2017-02-20 06:09
扇の的を出したとはいえ、女性の乗っている船に矢を射かけるなんて、源氏はなんて野蛮な連中だという声もあるようです。
それにしても血を分けた兄弟が権力の座を巡って殺し合い遥か遠方まで刺客を放つなどという蛮行が千年前も今も繰り返されているのかと思うとぞっとします。
Commented by j-garden-hirasato at 2017-02-20 06:59
「多くの謡いが聴き取れなかった。」
それが、
奥ゆかしくていいんでしょう。
Commented by ikuohasegawa at 2017-02-20 07:57
京都で月並み会に参加されたのかと読み進みました。
おかげで、堪能いたしました・・・ような気分になれました。
Commented by saheizi-inokori at 2017-02-20 09:57
> ginsuisenさん、おかげさまで能という素晴らしい芸能を愉しんでいます、私なりに。
Commented by saheizi-inokori at 2017-02-20 10:03
> sweetmitsukiさん、巴御前や神功皇后のためしもあり、女性が弱いなんてそれこそ差別ですよ^^。
この女官も女傑ですね。
肉親殺し、考えようによっては罪なき他人を殺すのよりはまだましかな。
兄から殺されたということが判官びいきに結びつくのですか。
Commented by saheizi-inokori at 2017-02-20 10:07
> j-garden-hirasatoさん、たしかにそういう一面もあるかもしれないです。
Commented by saheizi-inokori at 2017-02-20 10:13
> ikuohasegawaさん、蝋燭の灯りが揺らめくなかを謡が低く流れてくるとここは京都かと、それも500年も前の、と感じました、なんちゃって。
Commented by つきのこ at 2017-02-24 10:01 x
翌日の式能で「白田村」友枝さんおシテで演じられました。
「八島」昨年発表会で演りました。懐かしい詞章部分です。
ここの部分10年後でも憶えているぐらい
みっちり教えていただきました。骨まで染み込んでおります。
Commented by saheizi-inokori at 2017-02-24 10:21
> つきのこさん、そうでしたか、よかった(友枝さん)。
能を勉強していると楽しみ方もずっと奥深いでしょうね、私はもう手遅れだなあ。
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by saheizi-inokori | 2017-02-19 13:36 | 能・芝居 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori