踏み絵を踏んだらおしまいだ 永井愛「歌わせたい男たち」
2017年 02月 16日
国策に沿わない報道はしないと断言した前のNHKの会長発言に象徴される権力による報道管制、その空気にまけて報道を自粛するメデイアの内部の葛藤をコミカルかつシリアスに(現在の状況は昔なら荒唐無稽なものがリアルになって、シリアスに迫ってくるのだ。「1984年」が売れてるという)描いた新劇、「ザ・空気」を見て作演出の永井愛を初めてだと書いたような気がする。
そうしたら、Mさんがいつものように何冊もの本を貸して下さった、そのなかに「ら抜きの殺意」とこの「歌わせたい男たち」があって、そうだ、「ら抜きの殺意」は読んでいたのだった。
「歌わせたい」のは国歌「君が代」。
2005年にこの戯曲が初演された前年には東京の先生たちが250人も、国歌斉唱時の不起立や伴奏拒否で処分されたのだ。
口パクかどうかを耳を近づけて確かめるなんて言う噺がジョークではなくなったのだ。
教育委員会と現場教師(と自分の良心)の板挟みになって自殺した校長もいた。
イジメはなかった、と言い張る先生たちと卒業式での不起立を問題視する先生には同じ動機があるようだ。
保身、処分はいやだ、出世ができない、外聞をはばかる、、。
そうしていつの間にか、「国歌を歌うのは国民として当然だろう」「生徒に国を愛することを教える、国歌を歌うのも当然だ」となっていくのではないか。
だって、強制が行われる前は
この戯曲のなかで校長、かつて教育雑誌に「学校での『日の丸・君が代』の義務づけに抗議する」と書いた校長はこういう。
映画「沈黙」で隠れキリシタンに踏み絵を迫る役人も猫撫で声で似たようなことをいってたなあ。
権力は「まつろわぬ者」の存在を許さない。
同じように考え同じように歌い同じようにしゃべる者を欲する。
そうしないと権力は長続きしないからだ。
彼らは怖いのだ。
共謀罪!内心の自由すら守れなくなってるぞ!
メデイアが、学者が、役人が、、違うことをいうのをやめて、常に権力と同じことだけをいうようになったら、いくら彼らの内心が違うことを考えていたとしても、ぼくたちにはそれは伝わらず、権力がよしとすることばかりしか知らされない。
ほんとうのことを教えられずに、どうやって僕たちの内心の自由を守るのか。
消毒済みのきれいごとしか知らず、健全な歌しか歌えない、そんな奴隷の自由に甘んじるわけにはいかない。
「歌わせたい」のは国歌「君が代」。
2005年にこの戯曲が初演された前年には東京の先生たちが250人も、国歌斉唱時の不起立や伴奏拒否で処分されたのだ。
口パクかどうかを耳を近づけて確かめるなんて言う噺がジョークではなくなったのだ。
教育委員会と現場教師(と自分の良心)の板挟みになって自殺した校長もいた。
保身、処分はいやだ、出世ができない、外聞をはばかる、、。
そうしていつの間にか、「国歌を歌うのは国民として当然だろう」「生徒に国を愛することを教える、国歌を歌うのも当然だ」となっていくのではないか。
だって、強制が行われる前は
思想および良心の自由は、あの戦争を経て、ようやく私たちが獲得した自由です。、、君が代を歌うか歌わないかは、皆さん自身で決めてくださいと言っていた校長先生が、今は「立って歌うという以外の選択肢を示さない」のだから。
今なら、こう断言する。国歌を歌いたくない人が、国歌を歌わせられたからといって、その人の内心は決して傷つけられたりしませんよと。皆さん、内心とは、内なる心と書くのですよ。内心で何を思おうと、それは誰にもわからない。だから、傷つけることなどできません。、、、内心は外心にしない限り守られるんだから、憲法的にも全然OKと憲法の番人である最高裁判所が判断しているんです。、、東京都教育委員会は教育改革に真剣なのです、都知事は東京から国を変えるとおっしゃっています。伝統ある日本!そして、平和のための国際貢献を担う日本!その日本の輝かしい未来を託された皆さんに「立ちましょう!歌いましょう!東京から、わが校から日本を変えていきましょう!」と訴えるのだ。
権力は「まつろわぬ者」の存在を許さない。
同じように考え同じように歌い同じようにしゃべる者を欲する。
そうしないと権力は長続きしないからだ。
彼らは怖いのだ。
メデイアが、学者が、役人が、、違うことをいうのをやめて、常に権力と同じことだけをいうようになったら、いくら彼らの内心が違うことを考えていたとしても、ぼくたちにはそれは伝わらず、権力がよしとすることばかりしか知らされない。
ほんとうのことを教えられずに、どうやって僕たちの内心の自由を守るのか。
消毒済みのきれいごとしか知らず、健全な歌しか歌えない、そんな奴隷の自由に甘んじるわけにはいかない。
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otebox at 2017-02-16 17:09
現職の間は絶えず処分におののき、出世をあきらめるだけではなくて、生涯賃金に生まれる差もあれば、年金にまで格差がついてしまうという何重苦にめげずに生きられたのは自分らしくという決意と仲間(妻も含めて)の存在に辛くも支えられていた気がします。
大事なものを失わなかった爽快さが今の私を支えています。
大事なものを失わなかった爽快さが今の私を支えています。
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jarippe at 2017-02-16 20:39
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saheizi-inokori at 2017-02-16 21:59
> oteboxさん、それは凄いことです。
何重苦にも勝るしみじみとした喜びですね。
本書でも何重苦をちらつかせて脅す場面が出てきます。
たいていの人はそれで参ってしまいますね。
「沈黙」の踏み絵は命がけですが、起立斉唱はそれほどのことではないとしても。
何重苦にも勝るしみじみとした喜びですね。
本書でも何重苦をちらつかせて脅す場面が出てきます。
たいていの人はそれで参ってしまいますね。
「沈黙」の踏み絵は命がけですが、起立斉唱はそれほどのことではないとしても。
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saheizi-inokori at 2017-02-16 22:01
> jarippeさん、ラインで安倍政権を倒そうという通信を否定せずにスル―したら一味徒党と見なされるのだと弁護士が言ってました。
そういうことで怯えて者を言わなくなるのが狙いでしょう。
負けてたまるもんか!
そういうことで怯えて者を言わなくなるのが狙いでしょう。
負けてたまるもんか!
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j-garden-hirasato at 2017-02-17 06:29
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平名
at 2017-02-17 08:56
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「天ちゃん」って言葉が昔遭った様な気がするが、、 今は死語? 差別化か区別化か判らないが 報道で統一化したがるのが日本の特徴か?? 中国やUSAはいろんな人種、宗教が有るから? こんな事は弄らない? 処分、総括は怖いです。
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saheizi-inokori at 2017-02-17 09:48
> j-garden-hirasatoさん、教育の目的、根本は人々の個性を引き出すこと、EDUKATEなのですが、画一化は教育の自己否定ですね。
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saheizi-inokori at 2017-02-17 09:53
> 平名さん、踏み絵を踏む者だけが普通の市民として遇され、同じ踏んだ者連盟に守られる。
たかが歌一つ歌わないだけで村八分になる、惰弱な人間にはかえって住みやすいぬるま湯かもしれない、それが圧倒的な力をもち始めました。
たかが歌一つ歌わないだけで村八分になる、惰弱な人間にはかえって住みやすいぬるま湯かもしれない、それが圧倒的な力をもち始めました。
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unburro at 2017-02-17 15:24
かつての、大人や教師は、多少の差は有れど葛藤や覚悟をもって、踏み絵を踏みましたが、最近の若い教師は全くの無自覚て、
踏み絵を踏み絵とも知らずに、スルスルと滑るように踏んでいく様な気がします。
まして、そんな教師に指導される子供たちは、
世の中に、踏み絵がある事すら知らずに、大きくなるのです。
疑問や不満を持つことを押さえられ、
世の中に、矛盾や理不尽が溢れていることを知らずに
大きくなる子供たちは、小さな困難にも折れてしまって、
弱い者いじめ、や、命を軽んじる行動に出るのではないか、
とか、つらつらと考えてしまいました。
踏み絵を踏み絵とも知らずに、スルスルと滑るように踏んでいく様な気がします。
まして、そんな教師に指導される子供たちは、
世の中に、踏み絵がある事すら知らずに、大きくなるのです。
疑問や不満を持つことを押さえられ、
世の中に、矛盾や理不尽が溢れていることを知らずに
大きくなる子供たちは、小さな困難にも折れてしまって、
弱い者いじめ、や、命を軽んじる行動に出るのではないか、
とか、つらつらと考えてしまいました。
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saheizi-inokori at 2017-02-17 21:18
> unburroさん、そうですね。苦しい思いで踏み絵を踏んだのが習いとなってあたり前になって、正当化もして、その後輩たちはなんの疑いもなく、なんでこんなことで自殺したのか信じられない!となったのでしょう。
そういう空気で育てられた親の子たちは大人になったらどうなるのか。
アベや稲田がそのモデルなのでしょう。
そういう空気で育てられた親の子たちは大人になったらどうなるのか。
アベや稲田がそのモデルなのでしょう。
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テイク25
at 2017-02-17 21:39
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一時期カリフォルニアの日本人学校(毎週土曜日だけの学校)に子供を通わせていましたが、そこでも卒業式では国旗があり、起立して国家斉唱をしていました。もちろん私たち夫婦は着席のまま意思を示しましたが、周りからああだこうだ言われなかったのは気楽でした。
「沈黙」を観て、お上に盾はつけない、周りを見ながら生きるという習性が差別に繋がっていることを再確認しました。個々人の考えを表すことのできない状況が400年以上経っている今も続いているなんて。しっかりしなくっちゃ。
「沈黙」を観て、お上に盾はつけない、周りを見ながら生きるという習性が差別に繋がっていることを再確認しました。個々人の考えを表すことのできない状況が400年以上経っている今も続いているなんて。しっかりしなくっちゃ。
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saheizi-inokori at 2017-02-17 21:53
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創塁パパ
at 2017-02-18 09:32
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大阪の「お初天神」を思いだしてしまいました。最近出張も減りました(笑)
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saheizi-inokori at 2017-02-18 09:46
by saheizi-inokori
| 2017-02-16 12:38
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(14)