丸谷才一さん、関容子さん、ありがとう 関容子「芸づくし忠臣蔵」
2016年 12月 16日
丸谷才一が解説で本書の素晴らしさを「どうやらいはゆる現代古典になりさうな目鼻立ちの本」といい、岡本綺堂にある下降史観的なものはなく、
一方では代々の役者が工夫に工夫を重ね、他方ではその藝を後輩に教へ、歌舞伎の伝統が着実に続いてゆく現場に立会って、それを楽しく報告することこそこの本の主題なのである。という。
さらに「忠臣蔵」が大名から足軽、町人、娼家の女主人と室町=江戸の社会を縦断する構造を持っているのに照応し、大名題から大部屋、義太夫、狂言作者、大道具など芝居に係るすべての人々の仕事や考え方を生き生きと描いていて室町=江戸=東京という日本研究の書になっている。
と、ここまでは丸谷さんの受け売り。
考えてみると、物に憑かれたように「忠臣蔵、忠臣蔵」と言い暮らしてきました。どうやら丸谷才一先生の『忠臣蔵とは何か』を読んでからなおのことそうなったように思います。とりわけ、判官の非業の死を勘平がもう一度(世話物バージョンで)繰返すのだ、という指摘を読んだときの、目の前の霧がパッと晴れたような衝撃。それに導き出されて、勘平があのあばら家の中で一人水浅葱の紋服に着替えるのは、判官の白装束水裃に重なる、既に死装束であり、美男の切腹を主題にした遁走曲(フーガ)なのだ、と気づいたのでした。本書の最後は著者が勘九郎(のちの亡き勘三郎)の楽屋を訪れたときのことだ。
実はここが私の自慢の箇所で、でもあの本に出会わなかったら、「とは何か」と考える態度を勉強することがなく、これは単なる芸談コレクションで終わっていたかも知れません。
鏡台横に著者の丸谷才一さんから贈られた『忠臣蔵とは何か』が置かれてあり、私の肩の雪に目をとめた勘九郎が、ずいぶん前のほうで見たんだね、と言って本の扉をポンと開いた。丸谷は解説でこの個所を取り上げ、この本は自分の句で終わるのではなく、雪の向こうにいる芝居好きの見物衆、すなわち観客が歌舞伎の伝統を支え・参加していると結ぶ。
そこには、五列目で芝居を見てちょうどいい間を置いて、勘九郎さんが言った。
討入やいろはにほまで雪の中
「ほんと、舞台(こっち)から見てもこの通りなんだよ」
だが丸谷本に触発されて出来上がった「芸づくし忠臣蔵」を読んだから、国立劇場50周年の節目の特別企画に大枚を投じ、歌舞伎も文楽も全編観ようという気になったのだ。
本を読むということのありがたさを改めて感じる。
今ごろになってではあるが。
文春文庫
ザッザッザッという軍靴の足音が聞こえて、きな臭いにおいが漂ってきて、いつか来た道が見えてくるのは私だけなんでしょうか。
私には、亡き主君の遺志を継ぐための討ち入りと、靖国の英霊の遺志を継ぐための戦争との違いがまったくわかりません。
私も肝心の仇討ちには首肯しかねる、ましてや暗愚な殿様の、ところもあるのですが、芝居として彼らの成り行きを舞台にどう表現し、役者(人形や太夫が)演じるのかと思って見ていれば面白いと思うのです。
史実としての赤穂事件や忠臣蔵芝居の歴史などについては興味もあり、それなりの知識も持ち合わせておりましたが・・・
この『芸づくし忠臣蔵』を知ることで、観る側の楽しみがとても大きくなりました。
ありがとう存じます。
足駄を履かせてもらったような気がします。
それでもすっかり見えたわけではないのですが^^。