老いの寂しさ・美しさ 古典鑑賞月間が始まった 「狂言・箕被」&「能・遊行柳」@国立能楽堂
2016年 12月 08日
まずは能楽堂、友枝昭世の定例公演が取れた、なんて間がいいんでしょ。
連歌に夢中な主人(シテ・石田幸雄)が連歌の会をやるから支度せよというが、妻(アド・野村萬斎)は、「もう我が家には何もない、実家に援助も再三は頼めない、どうしてもやるというなら離縁してくれ」という。
なんと離縁すると答える旦那、別れの印とて箕をさしだす。
箕を頭に乗せて家を出ていく後姿をみて、
みかずきの出るも惜しき名残かなと一句詠みかけると妻が
秋の形見に暮れていく空と返すではないか。
こんな才があるとは知らなんだ、頼むから戻ってくれと哀訴嘆願する旦那。
「のう、いとしい人こちへわたしめ」と二人は連れ添って行くのであった。
能「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」
白河の関を通りかかった遊行上人一行(ワキ・宝生欣也、ワキツレ・大日方寛・御厨誠吾)を呼び止める老人(前シテ・友枝昭世)、新道ではなくて旧道に案内する。
そこに一本の柳の朽木、これぞ西行が
道の辺に清水流るる柳陰 しばしとてこそたちとまりつれと詠んだ名木なのだ。
老人は上人から念仏を授かると消えてしまう。
所の者(アイ・野村萬斎)が朽木のいわれを語り、上人たちは重ねて念仏を唱え、仮寝をしていると白髪の老翁、柳の精(後シテ・友枝昭世)が現れ、非情の草木まで成仏できる念仏の功力を称え、柳にまつわる故事や楊柳観音、源氏物語の柏木の恋のことなど柳尽くし。
蹴鞠の庭の佇まいなどはセピア色の映画の一シーンを彷彿させる。
風にたゞよふ足もとの弱きもよしや 老木の柳気力なうして弱々と立ち舞ふも夢
人を現と見るぞはかなき。
弱よわと、であとじさる、脱力の柳の精がさらに脱力する。
報謝の序の舞の美しさ!いつまでも見ていたかった。
前シテの老人が柳のごとくほっそりとして、あたかも体重がないかのごとくに佇立していたのにたいして、柳の精は烏帽子に狩衣・大口という装束のせいもあって、一回りも二回りも大きくなって、威厳を感じさせる。
西吹く秋の風打ち払ひ 露も木の葉も 散り散りになり果てて残る朽木となりにけり。
老いの寂しさ、しかし気品あふれる老いだ。
「西行桜」という世阿弥の作品に対するオマージュのような信光の作品。
太鼓 小寺佐七
地謡 大島輝久 金子敬一郎 狩野了一 友枝真也
粟谷明生 粟谷能夫 香川靖嗣 長島茂
牡蠣のキムチ鍋も食って、つまるところは自制とは無縁となりにけり。
芭蕉が遊行柳を訪ねた時の「田一枚 植て立去る 柳かな」を真似て、「ハタハタ二枚 飢えて食べ去る 佐平次かな」^^
また、いい店を発掘されたようですね!
落語はユーチューブで見たり聞いたり、けど、けど、生は全く違う。
したら、狂言やら文楽やら歌舞伎なんて見れたらどないなるんやろ,私。。。
そうです、ナマは断然違います。
私は落語も能もテレビではみません、ぜいたくかもしれないけれどナマを知っているとみる気がしないのです。
音楽もそうなんですが、これはCDやラジオで我慢してます。
落語はテレビよりテープで聴く方が想像力で補える分、生に少しは近いような気がします。