山寺から仙台へ 賑やかなあとの独り酒
2016年 11月 28日
立石寺、山寺に登ったのは、何年前のことだつたか、難渋して汗びっしょりになつたような記憶があつて、だからゆっくりゆっくり登って行ったらそれほどのことでもなかった。
記憶のイタズラ、それとも毎日続けている運動のたまもの?

時おり傘を広げるほどでもないような雨があったが、五大堂に着く頃は日差しがまるで舞台照明のように、眼下のあちこちにライトをあて、それを受けた大地が柔らかなもやもやをあげて、遠くの山はうっすらと雪をかぶっている。

神々しいのだった。
玉コンニャクにカラシをたっぷりつけて食いながら山寺駅前まで歩いて駅前食堂で熱燗やらおしんこやら芋煮やらそばやら、、よく飲みよく食いよく笑った旅の大団円。

仙台で皆さんと別れて俺は大浴場のあるホテル(個室のバス、キライ)をとつて外に出る。
半世紀前に社会人の第一歩を踏み出した街、思い切り呑んだくれて歩きたい、とは思えども、悲しいかな、体力も金力も悲鳴をあげつつある。
国分町の「一心」、太田和彦の推奨する店でしみじみと呑む。
わいわい仲間のいない一人酒、寂しくもあり、どこかほっとしてもいる。
旅の余韻の味わいを深める宮城の酒と魚。

ほろ酔いで曽遊の巷を見て歩く、もう見るだけ、しかしそれが最高のデザートだった。

記憶のイタズラ、それとも毎日続けている運動のたまもの?




半世紀前に社会人の第一歩を踏み出した街、思い切り呑んだくれて歩きたい、とは思えども、悲しいかな、体力も金力も悲鳴をあげつつある。
国分町の「一心」、太田和彦の推奨する店でしみじみと呑む。
わいわい仲間のいない一人酒、寂しくもあり、どこかほっとしてもいる。
旅の余韻の味わいを深める宮城の酒と魚。


山寺から見た景色の、神々しさは写真からも充分伝わります。
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> j-garden-hirasatoさん、なんといっても1965年頃ですから、その間、何度かは来たことがあるのですが、点から点のあわただしい訪問でした。
仙台駅の周辺がいちばん大きく変わっているような気がしました。
仙台駅の周辺がいちばん大きく変わっているような気がしました。
せめて山寺だけでも行きたいです
> unburroさん、吉原(残念ながら遅れてきた青年ですが)にも「冷やかし」が楽しみの一つだったようです。
もっとも私のは落語に出てくるように女や牛太郎とやり取りをすることなしの無言の見るだけでしたが。
もっとも私のは落語に出てくるように女や牛太郎とやり取りをすることなしの無言の見るだけでしたが。
赤い実は『うめもどき』かな?
枯れ色の風景にしずくをたたえた赤い実が美しいですね。
だだみ、牡蠣、ぶりの照り焼き?
みんな美味しそうですね。
玉こんにゃくの下の画像に写っているお銚子の隣はお漬物?
私もつけたあつみかぶの甘酢漬けのようなものみっけ!
枯れ色の風景にしずくをたたえた赤い実が美しいですね。
だだみ、牡蠣、ぶりの照り焼き?
みんな美味しそうですね。
玉こんにゃくの下の画像に写っているお銚子の隣はお漬物?
私もつけたあつみかぶの甘酢漬けのようなものみっけ!
> hanamomo08さん、そうそう、うめもどきだと友人が言ったのに忘れてしまいました。
ぶりではないのです、カジキマグロの幽庵焼き、セリとカジキマグロの一人鍋というのを食べたら、こっちも食べたくなりました。子供のころに食べる刺身というのはカジキマグロばかり、あれはいったい何だったかと思うような旨さでした。
漬物です。
写真に写ってないけれど、牡蠣海苔というのも出て、これは初めてでしたがうまかったです。
ああ、また仙台に行きたくなりました。
ぶりではないのです、カジキマグロの幽庵焼き、セリとカジキマグロの一人鍋というのを食べたら、こっちも食べたくなりました。子供のころに食べる刺身というのはカジキマグロばかり、あれはいったい何だったかと思うような旨さでした。
漬物です。
写真に写ってないけれど、牡蠣海苔というのも出て、これは初めてでしたがうまかったです。
ああ、また仙台に行きたくなりました。
by saheizi-inokori
| 2016-11-28 18:07
| こんなところがあったよ
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Comments(10)