フクシマ中浜小学校廃墟と常磐線復旧現地を見た
2016年 11月 26日













「いまだに仮設住宅で生活する人がいるのに、オリンピックだ、レガシィだと浮かれる連中の気が知れない。」
と言っても、私も横浜でふわふわと生きていただけですけれど。
きっとそんな気持ちに誰もがなることでしょうね
オリンピックが情けないものに思えてしまいます
オリンピックの機会をもっと上手に生かしてこそ
日本だ と言えるのではないでしょうかねー
もっともっと 震災の事報道すべきですね

59人の生徒は、校長先生の真摯な判断で助かった
この頃、大川小学校では何が起こっていたか
危険を感じ高台へ逃げる生徒を怒鳴りつけ引き戻す権力と狂気
「失敗の本質」で学んだ日本軍の愚行は、DNAなのでしょうか
地震のすさまじさは、写真で拝見する以上のものだったと思いますが、それでもこれらの写真を拝見するだけでも、胸を打たれます。
実際に現状を見に行った政治家達はいるんでしょうけれど、何とか復興をしたいという思いだけでなく、中にはいかにこの現状から国民の目をそらすかを考えた政治家もいたことでしょう。
傷ついたものは目に見えるものだけではないのに、復興と言う名を借りて利益追求を全面にだし、いかにその感情をねじ伏せるかの政治が行われた気がします。
復興の在り方については、いまも議論があるようですね。
いまこそ、本来の意味での 「もんじゅの知恵」 が必要な場面だと思うのですが・・・

確かに、私もそう思う。
さてここからが難しい。
わかっている。わかっていても「何をふわふわしなければ」いいのか?
日常の現実に実際に何をなすか。
まず第一に「これ」と真摯に信じられるものがあるかどうか。。
突き当たりに立っている気がいつもします。
せめて真面目に洗濯でもしよう。。捨てる物を見直そう。。。デスかね。
若い頃仲間と
電車の中で酔っ払って、女の子に絡んでいる「労働者」のために死ねるか?なんてアホなことを大層そうに論議?をしたことがあります。誰も答えは出せなかった。
その時は私もわからなかったから言えなかった。
少し前なら、死ぬためにでなく。どちらもが生きられる社会になればいい。と言えた。
でもこの生きるってどんなことだろう?と自分に戻ってくる言葉を、今は深く反芻しています。
下手な考え休みに似たり。。なんですけど。
もう少し高い波がきたら中浜の子も助からなかったでしょう。
運をも味方にしなければならないリーダーの責任とは重いものだと思います。
そんな贅沢が恥ずかしくなる仮設住宅の佇まいでした。
必要個数×建設単価<予算、数字だけで事足れりとして、オリンピックのレガシーという連中、ほんとにそのママの仮設住宅に泊めたらいとさえ思いました。
あの日は今もずうっと続いていて、5年たった、とはとても思えません。