能の幽玄に通じる世界 「速水御舟の全貌―日本画の破壊と創造」
2016年 11月 16日
風邪気味なので薬を飲んで早寝、7時過ぎに目が覚めてまだ寝ていたいけれど、今日は晴れる予報だ、起きてシーツやホーフの洗濯、ベッドパッドも干す。
ストレッチもしてサンチと散歩して来たら、あっらま、ちっとも晴れてこない。
それにしても、現役時代は毎年、いちどは高熱を出して二三日休んだのに、隠居になったら休んだことがない。
というより一年中休んでいるようなものだね。

昨日はカミさんを誘って山種美術館に「速水御舟の全貌―日本画の破壊と創造ー」を見にいった。
春風駘蕩たる南画風の「紙すき場」、細長い画面にパッチワークのように田畑が天まで届くように描かれる、そのまんなかに一見韓国の家かと思われる(じつは東京赤羽だったか)-家に庭に紙が何枚も干されていて、家の中で朝鮮人のような女性が紙をすいている。
ピカソのように御舟にも「群青の時代」があった。
「洛北修学院村」は、一面群青のなかに沈み込んだような家が俯瞰される。
群青の前には「黄土」に入れ込んだ由、「色では真実を捉えられない」というようなことを言っていた。

(美術館の帰り、少し熱っぽかったけれど、駒沢公園の「いつもの木」を観に途中下車、夕方になって紅の鮮やかさがなくなったが、日一日と、、そうかあ、死にむかっているのだ)
「破壊と創造」、副題にあるように、常にこれで良しと満足することなく、日本画の伝統とは型ではなく精神にありと、南画に遊び、爪先ではじいたらピンと音がしそうな皿のような写実を極めた(「鍋島の皿に柘榴」)かと思うと、その作風を捨てて再び日本画に戻り、さればとてそれはすでに全く新しい古典ともいうべき見事な世界、「炎舞」をはじめとして「名樹散椿」「翠苔緑芝」「蛤」「紅梅・白梅」「夜桜」、、俺は能の幽玄に通うものを感じた。
35歳の時に渡欧して人物画に興味をもち、花鳥についても画境を新たにしようとする矢先、1935年40歳にして早世する。
「日蓮上人像(模写)」「秋茄子」
「晩香」「牡丹花(墨牡丹)」
「あけぼの・春の宵」
、、大観の言う通り、もっと長生きをしたらどれだけの画境を開いたことだろう。
12月4日まで。

ストレッチもしてサンチと散歩して来たら、あっらま、ちっとも晴れてこない。
それにしても、現役時代は毎年、いちどは高熱を出して二三日休んだのに、隠居になったら休んだことがない。
というより一年中休んでいるようなものだね。

春風駘蕩たる南画風の「紙すき場」、細長い画面にパッチワークのように田畑が天まで届くように描かれる、そのまんなかに一見韓国の家かと思われる(じつは東京赤羽だったか)-家に庭に紙が何枚も干されていて、家の中で朝鮮人のような女性が紙をすいている。
ピカソのように御舟にも「群青の時代」があった。
「洛北修学院村」は、一面群青のなかに沈み込んだような家が俯瞰される。
群青の前には「黄土」に入れ込んだ由、「色では真実を捉えられない」というようなことを言っていた。

「破壊と創造」、副題にあるように、常にこれで良しと満足することなく、日本画の伝統とは型ではなく精神にありと、南画に遊び、爪先ではじいたらピンと音がしそうな皿のような写実を極めた(「鍋島の皿に柘榴」)かと思うと、その作風を捨てて再び日本画に戻り、さればとてそれはすでに全く新しい古典ともいうべき見事な世界、「炎舞」をはじめとして「名樹散椿」「翠苔緑芝」「蛤」「紅梅・白梅」「夜桜」、、俺は能の幽玄に通うものを感じた。
35歳の時に渡欧して人物画に興味をもち、花鳥についても画境を新たにしようとする矢先、1935年40歳にして早世する。
「日蓮上人像(模写)」「秋茄子」



12月4日まで。


「群青の時代」「画境を開く」の言葉と共に、心おきなく
美術館を楽しみました。感謝。日蓮上人模写も見たかったです。
美術館を楽しみました。感謝。日蓮上人模写も見たかったです。
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済州島は、「三無」のみならず、「三多」(風が強く、石(石仏)が多く、女が多い?)もあって、「三多三無」ともいわれるようなことを聞いたような・・・。
かつては、かの国の新婚旅行のメッカといわれたらしいですが、そんな過酷な歴史があったとは驚きです。
近い将来(生きておれば)に隣国との絆が築かれた折は一度訪れてみたい地かと・・・。
かつては、かの国の新婚旅行のメッカといわれたらしいですが、そんな過酷な歴史があったとは驚きです。
近い将来(生きておれば)に隣国との絆が築かれた折は一度訪れてみたい地かと・・・。

by saheizi-inokori
| 2016-11-16 11:34
| こんなところがあったよ
|
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Comments(8)