ああ上野駅から母なるロシアへ マリインスキー歌劇場特別演奏会
2016年 10月 12日
新幹線が東京発着になってからはとんとご無沙汰だけれど、懐かしい夜行列車の行列などを思い出す。
腹が減ると腹が鳴るときがあるので安い蕎麦屋でワカメそばを食ったら、思いのほかうまく、体も温まる。
指揮はワレリー・ゲルギエフ。
チャイコフスキー・幻想序曲「ロメオとジュリエット」
どこか聞き覚えのある曲だが、こうして大編成のオーケストラー、それも18世紀ペテルブルグの帝室歌劇場管弦楽団に源を発する世界的なオーケストラが、眼前10メートルほどの距離で演奏するのを聴くなんて夢のようだ。
息をつめるようにして聴いていると、あっという間に終わって、ちょっとぼうっとする。
ついでチャイコフスキー・歌劇「エフゲニー・オネーギン」よりレンスキーのアリア”わが青春の輝ける日々よ”・テノール*エフゲニー・アフメドフ
題名からは俺みたいな年寄りの歌かと思ったが、若い人が歌う。
レンスキーはオネーギンの友人だが、二人は決闘をする、その前日に「どこへ どこへ過ぎ去ってしまったのだ 私の輝ける青春の日々よ どんな明日が待ち受けているのか?
目を凝らし追い求めても 見えるのは深い闇ばかり
どちらでもいい 運命の掟は正しいのだ」と歌う。
そして恋する女性への思いを切々と歌う。
レンスキーは負けて死んでしまう。
原作者のプーシキンも決闘で死ぬのだ。
俺は「戦争と平和」でピエールが友人ドーロホフと決闘をしたことも想うのだ。
グレーミン公爵のアリア”恋は年齢を問わぬもの”・バス・バリトン*エドワルド・ツァンガ
でっぷり肥った、というよりあたかも首から下が樽のような形をした楽器で、そこから朗々と、恋愛は年齢を問わない!と、若い妻が自分の寂しかった生活に光を投げかけた!と歌う。
タチヤーナの「手紙の場面」”たとえ死んでもいいの”・ソプラノ*エカテリーナ・ゴンチャロフ
ほっそりした美しいソプラノが、切々と恋の歓び、告白の手紙を書く不安、たとえ死んでもいいから飛び込んで行こうと、歌う。
くそ~!こんなイイ女をこんな気にさせるのはどこの果報者だ?
それはオネーギン、しかも彼は愚かにも肘鉄を食らわすのだ。
それでタチヤーナは、上↑のグレーミン公爵と結婚してしまう。
妻となったタチヤーナの美しさに気づいてオネーギンが求愛するけれど、それは手遅れというもの。
「コンチャーク汗のアリア」・バス*ミハイル・ペトレンコ
コンチャーク汗(はん)を称え、美しく・民族的な激しさを、哀切さも漂わす。
冒頭の故郷を想うところはアイヌのユーカラを連想した。大満足!
始まる前は体調もいまいちだし、後半の曲が難解だと聞いて、エスケープしようかと思いもしたが、瞬く間に1時間強の演奏を聴き終えると、これで帰ったらバカみたいと、後半に突入。
プロコフィエフが悪戦苦闘、二か月を費やして書き上げたけれど、スターリンから認められず、初めて演奏されたのはスターリンとプロコフィエフ(同じ日に亡くなった)の死から13年、作曲から29年を経た後のことだったといういわくつきの珍しい曲だ。
字幕に共産党宣言の「共産主義が徘徊している」が引用される前奏曲から始まり、「哲学者は世界を解釈するだけ、問題は世界を変革すること」と歌う(低音でイッヒカンニヒトとつぶやいているように聞こえた)「哲学者たち」、レーニンの引用「われらは固く団結して進む」、間奏曲、そしてクライマックスは「革命」、レーニンの演説と論文の引用、「我らは必ず勝利する」、レーニンみたいな人が出てきて「必ず敵を見逃すな!」と檄を飛ばす、ドンドンと足踏みを鳴らす、イヤハヤ!そのあとは穏やかな安らぎを湛えた「勝利」、レーニンの棺の前でスターリンが遺戒を守る誓い(くどいくらいに様々な誓いがなされる、それがスターリンの不興を買わなかったか)、ついで「シンフオニー」が美しく、最後の「憲法」でスターリンの演説がたからかに共産主義の勝利を歌って45分ほどの大作が終わる。
不協和音も気になるどころか、美しいメロデイと相まって迫力満点、革命への情熱・苦難・解放の歓びが、日々惰弱に過ごす隠居の眠れる魂を揺さぶるのでありました。
パンフレットのゲルギエフの挨拶で、今回の公演は誰もが共感できる親しみやすい要素と作曲当時前衛的と呼ばれた要素の二つをそろえて、ロシア音楽のもつ多様性、厚みを体感し、楽しんでいただけると確信している、と述べている。
たしかに!
つくづく半分で退場しなくてよかったと思いながら帰途についた。
「革命への情熱・苦難・解放の歓びが、日々惰弱に過ごす隠居の眠れる魂を揺さぶるのでありました。」
魂を揺さぶられたい。
好きなのですが、自分からチケットを買う余裕は時間的にも金銭的にもないです。
行けば、つくづくいいなあ、とは思うのですが、なんしろ能や落語の何回分にもなるのです。
今度行ってみようと思います。
音楽会、チャンスが訪れずこの頃行ってないです。
ただ怠け者になって自分でチャンスを作らなくなったことが原因です。そういう点でも見習いたいことばかり!
こういうのをなんていうのでしょう?
入り口の歩道に埋め込んでありました。
マンホールの蓋だと思い込んでいた隠居です。