横浜で仙人にあってきた 柳家小満んの会
2016年 09月 28日
駅の周辺を(港の見える丘公園にはいかずに)ぶらぶらすると、古い小路とこじゃれた店が混在している。
あれをがまんできる人もいるのだから、これしきの湯がなんだ!
例によって小満ん師匠が傍らに笑顔で立って、奥様とお嬢様が切符を売ってくれる。
前座、一花「牛褒め」が小学生のようにかわいらしくお話してくれたあと、
小満ん「名人昆寛」
坊さんが関東十八檀林を経めぐることで位が上がっていくというマクラで関東最上位の増上寺を突き抜けると、裏の赤羽橋から船に乗れる、渋い地口で俺たちも小舟に乗って、さあ小満んワールドへ。
名人気質の彫り物師といっても刺青じゃなくて木彫、下絵を描いた狩野十徳の上から目線の口ぶりにカチンときて、「竹に虎」のはずが「松に虎」を彫ってしまう。
冒頭で質屋からの依頼を、前金だけ貰っていながら「七月はお盆、八月は月見、中秋の名月、立待ち、居待ち、寝待ち、、いそがしんだ、九月は菊、、、来年のことをいったら鬼が笑う」などと言いたい放題で追い返すのは楽しかった。
昭和16年、私(小満ん)の生まれた年に封切られた長谷川一夫の映画にもなった噺、元は講談ですと、断ってすぐにネタに入る。
長崎で西洋医学を習得した半井源太郎が、相宿になった人気役者中村歌右衛門の眼疾を治す。
それを恩に着て(謝礼をとらないのだ)、何か自分で役に立つことがあったら必ず馳せ参じると言って別れた歌右衛門が、その約束を果たすという義理人情の物語。
先進の医術を世の中に活かそうという志操堅固でありながら、穏やか・さわやかな人柄の少壮医師の風格、女形役者のたおやかさ、どちらも良かった。
仙人をとっ捕まえた洗濯場久米仙人の噺から、酒仙の名高き李白と陶淵明の、「両人対酌、、一杯一杯復一杯」、「菊を採る東籬の下、はるかに南山を望む」などの酒の詩にも触れ、
サテ舞台は北京市南京通3丁目18番と、紙芝居のオジサンみたいに声を張り上げ、愉快な仙人の噺だ。
大店の恵比壽講の余興になんぞ変わった出し物はないかと、番頭が野越え山越え、着いた先は仙郷、一身分体の術という口からもう一人の自分を出して見せる仙人・鉄拐と遭遇する。
番頭は言葉巧みに鉄拐を北京に連れてくる。
一回だけだぞ、宿?いちばん粗末な部屋でイイ、食うものは椎の実をぼりぼり。
ところが、受けたのなんの、到底一回だけというわけにはいかず、あちこちから座敷がかかり、ついには寄席のトリまでやらされる。
弟子を取らされ、その名をヤッカイ、チョッカイ、シジミッカイ。
旨いの味を覚え、朝っぱらから大間の大トロじゃなくちゃダメ、さぼる楽しみも知り、肥ってしまって、もうあの頃のすがすがしい・可愛げもあった仙人の面影はどこにもない。
評判も悪くなって、飽きられもし、人は別の仙人を探す。
こんどの仙人は、、。
サゲは李白と陶淵明の再登場。
どこか剽軽な仙人たち、小満んワールドは仙人ワールドでもあった。
だがしかし、とうてい酒仙の域には達しない、バンズインあたりをうろちょろしてる生臭坊主なりき。
『そうそう、十八檀林から赤羽橋だったンだ』
『そうだぁ、洗濯する女性の脹脛が白くって・・・』
『生牡蠣をいただいたんだ』
なんて(^^;)
ありがとうございます。
夕焼けが見られてよかったですね。
ビルが東の空への日差しを遮るなんてことがあるのかなあ。
横浜は海の近くだからか、全天的な夕焼けが嬉しかったです。
頃さんの夕焼け^^。
団欒の肴の写真のデザイン、お見事です!