長き命のつれなさを 能「黒塚」&狂言「萩大名」@能楽堂
2016年 09月 17日
難しい仕事が終わった田舎の大名(石田幸雄)が気散じに、東山の萩の美しい庭があるという茶屋に行こうとなった。
問題は茶屋の亭主(野村萬斎)が客に和歌を希望するという、そういうことにはまったくの朴念仁なのだ。
太郎冠者(月崎晴夫)に和歌を一首教わり、「え!それ誰が言うの?俺ひとりで?!」、落語にもよく出るシチュエイション。
覚えられないというので扇子を使ったり足の脛を使ったサインで思い出すようにしておいた。
茶屋に着いてからの庭の褒め言葉の頓珍漢なこと、いざ歌を詠むとなって、サインの読み違いの連続、とうとう愛想を尽かした太郎冠者は「大いに恥をかきなさい」とさっさと帰ってしまう。
さいごの「萩の花」を思い出せずに口から出まかせをいうと茶屋の亭主が怒りだす。
官僚の作文や耳打ちで国会をしのぐ田舎代議士だね。
しかし石田大名はすっとぼけた味のあるボケで憎めない。
大らかに笑わせてもらった。
萬斎、ちと痩せた?
「安達ケ原」の名の方が有名かな、俺が能を観だしたのはこの演目を歌舞伎と能の競演を観て、こりゃあ能がいい!と思ったから。
みちのくの安達ケ原の茅屋に一人住まいする老女(前シテ・高橋忍)
げに侘び人のならいほど、悲しきものは世にあらじ、「寝るのが一番」と母もいってたが、この老女はもっと孤独、「せめて夜にまどろむのが生きているしるし、しかもまどろんでいる間に死んでしまうかもしれない、ああ、儚いわが生涯」とつぶやいている。
かかる憂き世に秋(飽き)の来て、朝けの風は身にしめども、胸をやすむることもなく、
昨日も空しく暮れぬれば、まどろむ夜半ぞ命なる、アラ定めなの生涯やな
行き暮れて、この老女に一夜の宿を求めた山伏一行(ワキ・村山弘、ワキツレ・丸尾幸生)におもてなしとして糸繰車を使ってみせる。
美しい麻の糸を繰返し
昔を今になさばやそう嘆きつつも、源氏物語に出てくる源氏の冠の糸、御所車の御簾の糸、花の清水の糸だれ桜、秋の糸薄、明石の浦で糸を引くような千鳥の鳴き声、みちのくの老女に似つかぬ王朝絵巻の糸尽くしを歌う。
あさましや人界に生を受けながら、かかる憂き世に明け暮らし、身を苦しむる悲しさよ
老女の独りごとからこの糸車の場面が、今日も心を打つ。
おもてなし・その二は焚火、いまから山に行って薪を拾ってくる、ついては留守中に閨をのぞいてはなりません。
「この夜中に、女の身で」と案じる山伏たち、静けさと寒さが深みを増す。
みてはならぬと言われれば見たくなる性分の能力(アイ・竹山悠樹)が山伏たちの寝込んでいるのを見透かして閨をのぞこうとしては見つかるという滑稽なやり取りのあげく、能力は閨をのぞいて積み重ねられた死骸をみてしまう。
太鼓(吉谷潔)、小鼓(観世新九郎)、大鼓(大倉正之助)が轟き、笛(藤田朝太郎)が狂ったように叫ぶくなか、白頭の鬼が登場する。
般若の面が寂しさ・哀しさを感じさせる。
必死に数珠を繰り出し鬼を祈り伏せようとする山伏よりも鬼に同情する。
老女はなりたくて鬼になったのではない。
彼女の孤独、過去、貧しさが彼女を鬼にしたのではなかったか。
文楽もいいけれど能・狂言もまたよし。
ちゃんとしたものを見たことがありません。
中学のとき、
学習の一環でチョコっと見ただけです。
機会があったら、見てみたいですね。
近所の薪能に応募してみようかなあ。